月光院璋子の日記
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月光院璋子

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震災支援・・・・ダイバーボランティア
top5.jpg

こうした方たちの地道なボランティア活動には、
本当に頭が下がります。

寒かったころと比べるとこれからは海の水温も上がりますけれど、
皆があこがれる透明な海と違って、
被災地の海の中は危険がいっぱいのはず。

くれぐれも事故などがないように気をつけて、
活動していただきたいです。

ご参考までに⇒ http://sanrikuvd.org/

広島からダイバーボランティアに参加された女子学生の方が、
これからホームページを立ち上げるという話が、
今朝のテレビで紹介されていました。
彼女が被災地で見てきたものを収めた1万点を超える写真が、
これからウェブ上で順次公開されるそうです。
 ↓
mekabu0311.com

報道関係者の方の写真とは違う一人のボランティアダイバーの写真・・・
多くの方にご覧いただけたらいいなあと思い、
拙ブログでもご紹介させていただくことにいたしました。


震災後7ヶ月の秋晴れの日・・・・子供相撲
CA3J0042.jpg
CA3J0043.jpg
CA3J0044.jpg

アップし忘れてしまいそうでした。
先週の連休の秋晴れの日、
近くのアーケードで開催された子供相撲。

相撲が神事であることを思い、
その相撲を子供たちが震災復興への希望を託して取りました。
都市のアーケード街での相撲・・・
初めて見ました。

この子供力士たちには、数十年後、
この相撲のことがどんなふうに記憶されているのか。
わたくしはその頃まで生きてはいないけれど、
聞いてみたいなあという思いになったものでした。

子供たちの存在が、なぜ、希望なのか。

それは、彼らが、わたくしたちの時代を受け継ぎ
そしてまた次の世代に、彼らの時代を手渡していくという、
連綿と繋がれていく命の象徴だからでしょうか。

秋晴れの空を見上げながらふっと
そんなことを感じたとき、
どこかですごく疲れを感じていたのですけれど、
何だかとても元気を取り戻せたように感じました。


テーマ:仙台 - ジャンル:地域情報


震災から半年経って・・・雇用情勢の悪化と被災求職者
震災後に失業手当の受給手続きを始めた人が計約7万人に上るそうです。
事務所を通して手続きがなされているので、今月半ばまでにすでに4万人以上の失業者が手続きを済ませ受給も決まったことも各県の労働局の集計が出てきておりますが、被災したために手続きが遅れている事業所も多く、今後受給者はさらに増える見込みとのこと。

この労働局の統計には、農家や漁師の人たちの失業者は含まれていないため、こうした被災者が生活を立て直すには、何よりも復興が急がれるわけですけれども・・・・、仕事を選んでいる余裕はないという農家や漁師の人たちや、震災で失業した人たちには、いま、瓦礫の片付けなどの日雇いやアルバイトの雇用の斡旋も自治体からなされています。

けれども、

皆が皆瓦礫の片づけの仕事が出来るわけではなく、雇用の問題は被災に関わらず以前からあったところに震災が起こり、この震災で失業したという「被災失業者」の人たちは、津波や地震や火災で家屋と財産をなくした人たちばかりではなく、地域の経済がとまったために失業は連鎖的に生まれているわけで、今後さらに「被災失業者」の人たちの雇用は深刻化するはずです。
3県のハローワークに登録した被災求職者のうち、就職できた人はこの秋までに3割未満だそうで、このままだと無収入となる人が今後毎月数千人単位に上るとも。

失業手当を受給できる人たちは、いま、最長360日間、在職時の給与の5~8割を受けとることが出来るようになっているそうですが、震災で失業した6万人~7万人と言われる「被災求職者」の場合、失業手当の支給が終わるまでに再就職できなければ、震災特例で最大3ヶ月の延長が認められるとはいえ、失業手当の給付内容や給付期限も年齢や保険加入期間によって異なり、好条件で給付を受けている人たちも、あと半年ほどで、無収入になる公算が高い。
政府による復興事業や県の雇用創出基金などで雇用が期待されてはいますが、果たしてこのままで雇用が確保されるという失業者は、どれだけ増えるものでしょうか。

政府が建築業から林業や介護に転職しろと笛を吹き、
そこにいかに補助金をつぎこんでも成果が出なかったように、
農業や漁師の方たちに建築業で雇用を創ると言っても、
果たしてどれだけの人たちがそれを良しとするのか。

被災地からの住民流出ということが、
地域共同体の崩壊ということで問題だとされていますけれど、
そこに≪いま、そしてこれからも≫住み続け、
そこで≪いま、そして、これからも≫暮らしていくことが、
震災の復興にどういう影響を及ぼしていくのか。
当事者とそうじゃない人たちは、
それをどう考えたらいいのでしょう。

被災者向けの求人が全国から来ていると聞きます。
被災地に来ている雇用先の大半が県外からなため、
仕事を得るために他県に出ようと思っても、
自分ひとりでもお金がかかるところ家族がいっしょの場合は、
さらにいろいろとお金がかかり思案中の方も少なくない。
けれど、賃貸費用を支援してくださるという自治体も多く、
2年間は住むのに費用はかからないケースも多い。

被災地ではいま、大きな声で、
ここで頑張ろう!町を復興しよう!と声を上げる被災者たちの一方で、
肩身の狭い思いをしながら、小さな声で、
ここを出ようかと悩み町を出ることを決めた被災者たちがおり、
復興関係者の間でも、(被災者の方たちが)このままでは、
マンパワーが足らな過ぎるという声が聞かれるようになっています。
こちらの声もまた、小さな声で、
復興は国や自治体がやってくれるものと思っているのかと、
床上浸水する半壊家屋に住み続けて要求ばかりしているのはいかがなものかと、
復興の足かせになっているのは住民自身ではないかという声が、
小さな声ではありますけれど、聞かれるようになっているのは事実です。

数年間他所に移転するということが、
小さな声で語られなければならないというのは、
とても残念でなりません。

テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済


震災から半年・・・人が消えた街
先日の満月、時折小雨が降った当地ですが、
夜遅くなってこのように見えました。

ご覧になった方は多かったのでしょうか。

DSCN4440.jpg

震災から半年・・という区切りを迎えて、
テレビや新聞では被災地の復興の様子を伝えるものが多かった。
当地の宮城県では県北の気仙沼や南三陸町、
先日、初の秋刀魚の水揚げがあった女川港と、
復興に10年は最低かかると言われている県内第二の都市である石巻市など、
見た目では震災後と変わらない町並みと、
全国各地から入っている市民の人口の半分近くのボランティア活動の成果、
建設中の仮設住宅で起こっている新たな問題、 

  地域の共同体から切り離された人たちの孤独、医療、福祉の問題、
  住まいと仕事を震災でなくした人たちの焦りと不安と無気力、
  家族を目の前で津波で亡くした人たちや、
  特に、親を津波で亡くした子供たちの心の問題、
  
学校を再建しようにも同じ場所に建てないと補助金が出ない問題、
ここのブログで何度か取り上げた保険金受け取りで震災太りした人たちと、
震災で失った住居の再建が絶望的な人たちとの格差の問題、
そこに立ちはだかる二重ローンの問題、
仕事と暮らしを守るために半壊家屋に住み続ける被災者たちの問題、
全壊や半壊指定のマンションの再建問題、
(いまや、マンションにだけは住みたくないという声があちらこちらで聞かれる)
新たな住まいに転居したマンション住民と残された住民が背負う問題、
床上浸水する自宅に住み続ける被災住民の問題、
他県に移住した人たちと残った住民が背負う自治体問題など、

あまりに多くの問題があります。
被災者住民の依存心やエゴや甘えも指摘されるようになりました。
そこには、自力で這い上がれる人たち、
仕事と街を再興しようと立ち上がった人たちのように、
強い意志と精神力と体力のある人たち、
リスクを背負って頑張ろうとする人たちのようにはできないという、
多くの人たちの現実もあります。

金もない、仕事も家もない、家族も亡くした、
瓦礫を片付ける手伝いをしたくても持病があって動けない、
気持ちはあっても高齢で動けない、
仮設住宅に入っても買い物に行くのに往復で半日もかかる、
仮設住宅であっても主婦業や育児で復興に貢献する余力がない、
何もできなくて申し訳ないという人たち。

東京の子供から来いと言ってもらうが、狭くて住めない、
家を建てようと思っても60歳を過ぎてローンが組めない、
どうしろと言うのか、と頭を抱える人たち。

選挙があって候補者は全員、復興に全力を注ぐというが、
どういう復興をするのか青写真が一つもない、
だから選挙には行かなかったという人たち、
震災後何の役にも立たなかった議員にどうして投票に行かなきゃ行けないのか、
そう言って投票に行かなかった人たちがたくさんいる。

仮設には2~3年しか住めない以上、街を出るしかない、
街を出られる人はいいと口にする高齢者、
被災者が被災者を支援する活動に半年経って疲れ果てたという人たち、
震災のことは何も考えたくないと言って沈黙する人たち、
被災地の様子など見たくないという被災した人たち。

昨日、震災後、初めて、
津波で何もかもなくなったという一つ、
野蒜(のびる)海岸に行ってきました。

仙台からJR仙石線で復興した高木町という最終駅まで行き、
そこから、仙石線の不通エリアを走る代行バスに乗り、
いまはない野蒜海岸駅というバス停で降り、
仙台に転居してきたときに子供たちを連れて出かけた砂浜まで、
ほとんどなくなった防風林のエリアを歩いて、
海が見えるところまで歩いてみました。

その途中、
バスの車窓から見えた瀟洒な家々がところどころに建っていて、
思わず、ああ、無事だったのかと思ってしまうわたくし。
そうして思わず、見入ってしまった瞬間、
スレートや新建材のきれいな屋根の下の家屋は、
一階部分は何もかも壊されてなくなっていて、
二階部分さえガラス窓はどこにもなくて開いていて、
敗れたカーテンが窓辺で揺れているのを見るのです。

何が起こったのか、
そこで改めて、知らされるのです。
あまりの静けさに、改めて、気づかされるのです。

どこの家屋にも人の気配はまったくなく、
当然のことながら、誰も、もう、住んでなどいません。
どこにも、人がいません。いなってしまったのだと。

野蒜海岸というところは海水浴場で賑わっていた町ですが、
駅近くのお食事処と書かれた看板のあるレストランの
壊れかけた建物の中はかろっぽで、
そのまま家屋が無事に残っているように見えた食堂も、
薄暗い店内は空っぽで荒れ果てていました。
みやげ物屋や喫茶店の看板だけが残る廃屋にも、
人の住んでいる形跡はなく人の気配すらありませんでした。

なのに、秋の海は何事もなかったのように静かで、
波も静かに浜辺に寄せているだけ。

先日の満月も、こうした誰もいなくなった町を、
静かに照らしていたのでしょうか。



  

テーマ:震災救援・復興 - ジャンル:政治・経済


震災から5ヶ月・・・「震災関連死」と「災害弔慰金」
この映像、ご記憶の方も多くおられると思います。

気象庁は13日、東日本を襲った大地震のマグニチュード(M)をこれまでの8.8から9.0に修正、確定した。国内観測史上最大。写真は、被害を受けた建物の屋上に打ち上げられた車=13日、宮城県南三陸町

当県の南三陸町の震災後の写真です。

国内観測史上最大で、世界では4番目の規模。同庁は「複雑な形で巨大な地震が3回連続して起きた」と指摘。「極めてまれなケース」としている。

大津波を発生させ、
激甚な被害をもたらした大震災から、
もう5ヶ月が経ちました。
雪がちらついていた当日のことがウソのように、
いま、当地も、連日、猛暑が続いています。

このところ、いやな感じの余震が続き、
もう一度、ゆり戻しの大きな地震があるのではないかという、
いやな予感がして、そのたび、一人黙々と、
備品や保存食、そして持ち出しの品を確かめている次第ですが、

あれから、5ヶ月経って、
昨日の当地のニュースでは「震災関連死」のことが、
遅まきながらやっと報道されるようになりました。

何日か前に、
ここのブログで取り上げましたが、
震災後に、そして、震災後数ヶ月経った最近になってから、
体調を崩したり、病気になったり、
持病が再発したり悪化したりして、
入院したり亡くなったりという人達が、
わたくしの周りでも増えつつあり、

わたくしの知る限り、
それらの病気の発症や再発、そして死亡は、
明らかに震災が遠因です。

震災後の、あのときの寒さを、
ストーブも暖房もなく毛布さえなかった日々の寒さを、
そして、温かい食べ物どころか、水も十分な食料も、
届かなかった人たちのことを思い出してほしい。

避難所が避難してきた人たちでいっぱいになり、
知人宅に身を寄せて暖房のないところで、
食べ物を分かち合いながら、
どれだけ不自由な避難生活をしてきた人たちがいたか、
思い出してほしい。知ってほしい。

その後、実家や親戚の家や友人の住まいが津波に呑みこまれ、
激甚としか言いようのない被害を被ったことを知った同じ被災者が、
何とか配給もままならないガソリンを手に入れて、
食べ物を届けるために被災地に通い、
泥だらけになりながら片づけを手伝い、へとへとになりながらも、
そうやって頑張ってきた被災者の人たちがいたことを、
思い出してほしい。知ってほしい。

震災後、気持ちを奮い立たせて、
いつまで待ってもやってこない支援を待つことなく、
早くも片付けに立ち上がった人たちや、
借金をしながら復興の声を上げた人たちや、
ボランティア活動に奮闘してきた人たちが、
被災した一般人の中に大勢いたことを、
被災した方たちも被災地の人たちじゃなくても、
知ってほしい。


あれから5ヶ月1

震災から3ヶ月経っても4ヶ月経っても、
自衛隊の方たちや消防団の方たち、
警察や自治体の職員の方たちやボランティアの人たちが、
泥だらけになりながらすさまじく頑張ってくださっても、

被災地の多くがこうした状況だったことを、
そして、いまでもこのままだということを、
そうしたところが数多くあるということを、
思い出してほしい。知ってほしい。

こうした中で十分な医療を受けられないまま病状が悪化して亡くなったり、
体調を悪くして亡くなったり、
持病が悪化して亡くなったり、
病気を再発して亡くなったりした方たちがおられる。
それはご高齢だった方でも入退院を繰り返しておられた方でも、
同様だし、同様のはずです。

以前通りの暮らしが出来るようになった市民が多い仙台市でも、
また、物資がいきわたり衣食の心配がなくなった被災地でも、
それは同じです。同じはずです。

こうした死亡を、 「震災関連死」 
といいます。


あれから5ヶ月2

けれど、国は、その判定基準を定めていません。
なので、自治体ごとにその判定をし、
ご遺族に「災害弔慰金」を渡すことになります。

が、震災関連死の判定基準が国にないため、
多くの自治体ではその判定を下すことになります。
が、その判定を下すための専門家がおらず、
職員は震災関連の他の仕事に忙殺され人員が足らない状況で、
その判定を審査する機関を設けるゆとりもない。

そうした被災地の各自治体に代わって、
県がそれを担う提案を行っている宮城県ですが、
県にそれを委託するには自治体の議会の承認を経なければならない。

地方自治体の議員の選挙が行われるはずだったこの春、
仙台市の市議会議員選挙の目処がやっと立ったいま、
他の被災した自治体では選挙どころではないのが実情です。

昨日までに「震災関連死」の申請件数は、当県で280件。
そのうち、「震災関連死」として認定されたのは、40人。14%とのこと。


あれから5ヶ月3

家族を亡くしたご遺族に支払われる「災害弔慰金」は、
500万円を超えない範囲と法律で定められていますので、
金額の査定が難しいといえば難しいのかもしれません。

けれど、わたくしの知っている方たちは、
間違いなく震災を遠因とする病気や死亡です。
自治体に申請をされるご遺族にとって、
家族の死の原因を詐称して弔慰金を受け取ろうとするなど、
今回の震災の被害の実情を思えば考えられません。
ご遺族の多くもまた被災者なのですから。

百歩譲ってそうしたケースがあったとしても、

震災関連死の判定基準が定められていない以上、
定められていないからといって、
専門家がいないからといって、
自治体によって弔慰金の支払いに格差が生まれることはいかがなものか。
市役所の担当員に判定をしろというのはそもそも無理な話です。
役人は、前例に従うものなので、
自己責任で判定などできるはずもない。

なので、提案します。

住民からメンバーを募るなり、
町内会の役員なりを集めるなりして、

良識で判断してもらって、

弔慰金の支払いを決めてはどうか。
直接の死因は医師が判断するとしても、
その死は、震災がなければ、
震災後の環境が劣悪でストレスを高じるものでなければ、
避けられたかもしれないかどうか、良識で判断する。

なぜなら、
災害で亡くなった人の死に対する災害弔慰金は、
一部損壊を全壊と言い募ることがまかり通る地震保険と違うからです。

そして、

菅首相、仮設住宅の遅れも陳謝 2次補正予算、25日成立へ


国は、いまだに何の基準も示さないどころか、
今回の大震災を「国難」と呼びながらそうした発想もないまま、
政権関係者もこの総理をめぐる政局に明け暮れているからです。



テーマ:気になったニュース - ジャンル:ニュース


京都「大文字保存会」への非難抗議の声について思う
ブログに 8月10日

こちらの火は、暴徒とは無縁の鎮魂の火です。
震災後の6月ごろのニュースでしたか、
激甚な被害を受けた一つ岩手県陸前高田市の、
津波で流された松原の松を薪(まき)として集め、
震災遺族らのメッセージを記して、
京都の大文字焼きの送り火の薪として燃やされることになったというニュース。

それが、

放射能汚染を心配する「大文字保存会」の会員の方たちの声で、
急遽、中止されることになったというニュースに変わってしまいました。
冒頭の写真は、地元の陸前高田で「迎え火」として使用された薪の様子です。

放射能物質は検出されなかったそうですが、
これも風評被害だということで、
そうした風評で中止という判断をしたことへの批判や抗議の声が、
京都市に殺到したというのを報道で知りました。

風評で物事を判断することに問題がないとは申しませんが、
では、薪から放射能が検出されていたらどうだったのかと。

放射能で薪が汚染されていたともし判明していたら、
それで中止になったとしたら、懸念が事実となり、
風評が差別に変わったのではないか。



日本全体が放射能アレルギーを起こしているいま、
広島長崎の原爆投下記念日の平和記念式典でも、
武器としての核兵器とエネルギー確保の原子力発電所が
何の不思議もなく同一次元で語られているいま、

主催者が放射能汚染への懸念を抱くのも
無理はないのではないか。


DSCN3912.jpg

槍玉に挙げられている「大文字保存会」さんは、
今回地元で迎え火として焚かれた薪の遺族らのメッセージを写真に撮り、
後日、別の護摩木に書き写して「送り火」で使用されるとのこと。
理由を隠さずに話し頭を下げている相手に対し、
怒りをぶつけては鎮魂にならないでしょう。

それにしても、

放射能汚染を心配するとき、
わたくしたちは果たしてどれだけ科学的な態度が取れるのか。
原発問題を考えるときにもそれは必要なのではないか。
そんなことを改めて考えさせられています。

ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモア被爆者と語るときにも、
本当にそれを実現させたいのなら、
「あやまちは二度と繰り返しません」
の主語を明確にし、
過ちとは何のことかを明確にし、
「二度と作らないで、わたしたちのような被爆者を」
と語る相手をも明確にしなければ始まらないのではないか。
平和式典を今年はテレビで眺めながら、
あらためてそう思ったわたくし。


テーマ:気になった事 - ジャンル:ニュース


災害義援金って、どうすればもらえるのかを知らない人たち
以下は、被災地におられる方たちで、
義援金を受け取ることができるのにいまだ、
義援金の申請をしていらっしゃらない方たちのためのブログ記事ですので、
関心のない方は、スルーしていただいて結構です。

DSCN3834.jpg
(「頑張ろう」という呼びかけが多かった今年の七夕の吹流し、正直、違和感がありました)
もうじき震災後5ヶ月になりますが・・・・
いまなお被災した方たちのもとに義援金が渡っていないどころか、
実は、いまだに、災害義援金の申請をしていない人たちが大勢いらっしゃる。
やはり、というべきか、驚くべきことに、というべきか、
いまさら聞けない!?というのでもなく、
災害義援金をどうしたらもらえるのかが分かっておらず、
分からないままでいるうちに時間が経ってしまい、いまに至っている!!
という若い単身者が意外と多いということを、
被災した若い世代の単身者に出会って知りました。

こうした青年の中には、

○特に、義援金をもらう必要を感じない。
○もらえるものならもらいたいけれど、役所に行って手続きとか面倒くさそう。
○忙しくて区役所(市役所)に行く暇がなかった、忘れていた。
○区役所(市役所)に行くと混んでいるだろうから、後で行こうと思っていた。
○そんなのどうでもいい(という気分になっている)。

だから、災害義援金の申請をしていないというケースも多そうですが、
ご家族を亡くされた方たちの中には
情報はあっても申請するというアクションが起こせないでいる人たちのいて、
無理もないと思われとても気持ちが重くなります。

しかしながら、、知っていて行かないのと知らなくて行かないのとでは、
状況は違います。ましてや、避難所にいるわけでもなく、
破損した賃貸アパートや賃貸マンションなどにとどまって(戻って)いるという人たち、
一人暮らしの中で状況が逼迫しているのに、情報を入手できないまま
義援金のもらい方さえ分からないという人たちがもっといるのではないか。
そう思えてたわたくし。

特に、賃貸アパートで一人暮らしの単身の青年たちで、

●震災で仕事がなくなった
●仕事(バイト先)を探しているけれど、見つからない
●周囲に個人的に話の出来る人がいない
●周囲に相談できるような人がいない
●活動的な性格ではなく引きこもりがち
●口下手だったり社交が嫌い
●ご近所づきあいが皆無、声をかけてくれる大家やおばさんもいない
●市役所だの区役所だのには転入以後行ったことがないので疎遠
●行政に関する情報を持たない

その結果、まさに預貯金も底を突きそうな一人暮らしの単身者や青年者は、
いま、どうしているのかと何だかとても案じられて、
以下のことをブログで書くことにしました。


DSCN3824.jpg
(大震災後でも例年通り行われた高校野球大会甲子園、熱戦に勇気が沸いてきたという方は多かったのではないでしょうか。被災地でも甲子園野球は相当テレビ観戦されていたようです)

災害義援金の受け取りができるようになるには

まず、災害義援金の申請書という用紙を入手する。

市役所や区役所に行けば、置いてあります。
特に区役所の人と口をきかなくても見れば分かる。
そういうところに置いてあるはずなので、
その用紙に必要事項を記入する。

義援金が現金ではもらえませんので、
振込先の口座を記した、銀行の通帳が要ります。
申請には、その通帳のコピーを提出します。お決まりの印鑑

そして、写真つきの身分を証明するもの

運転免許書とかパスポートとか、住民基本台帳カードとか、
写真付きの身分証明書ですが、ない場合は、
県庁や出先機関でパスポートなり、
市役所や区役所で住民基本台帳カードなり、
証明写真持参であればその日のうちに作れます。

車の免許にない人は、こういうのを一枚作ると、
今後はいろいろな場面で身分証明を求められた場合、
ずいぶんと楽になるはずですよ。

もう一つ用意するものは、自分が住んでいる
賃貸アパートの被災状況を確認できる書類

賃貸アパートの場合、
管理人さんや管理不動産会社や大家さんに聞けば、
すでにアパートの「り災証明書」を取っているなずですから、
その「り災証明書」のコピーをもらって用意して行けばいいのです。
そうして市役所(区役所)で、今度は、
あなたの住まい(アパートの住所、何号室)の罹災証明の申請として、
「り災(届出)証明申請書」の申請をします。
必要枚数を記入する欄があるので、
5枚くらい発行してもらっておくとよろしいかもしれません。
後で、いろいろな支援申請をするのに必要になるからです。

そうすると、「り災の届出を受け付けました」ということで、
「り災届出証明」(自分が書いた用紙に区長の赤い判子が押してあるもの)
というのが、その場ですぐに発行されます。
そうして、だいたい2週間以内に、
本当の「り災証明書」というものが税務署から郵送されてきます。

家族を亡くしていらっしゃらない青年は、
だいたいここで書類は全部そろったことになります。


DSCN3833.jpg
(甲子園野球が多くの人をひきつけて止まないのは、それが一階限りの大舞台での勝負だということ。だからこそ、球児に身を置き換えて、おれも頑張ってみようと思える勇気をそこからもらえるのかもしれません)
>これから義援金を申請する方たちで、
親子や祖父母が震災で行方不明(もしくは死亡)になってしまっている場合、
死亡診断書のコピー、戸籍もしくは除籍謄本というもののコピーが要ります。

この辺になると、ちょっと面倒な気持ちになってしまうかもしれませんけれど、
戸籍が他県にある人は、電話でそこの役所に電話すると早いです。
先方の区役所の人が分かりやすく説明してくれますから。
そこで、言われた通りに封筒の中に返信用の封筒とか切手とかを入れるとかして、
後は郵送するだけ。数日以内に送ってもらえます。

写真代だの封筒代だの切手代とか、
ちょこちょこ小銭がかかりますから、
少しでもゆとりのあるうちに申請してほしいと思うばかり。

以上の、必要書類を揃えれば、
義援金の申請は受け付けられ、
市役所や区役所に行かなくても郵送でもOKです。
でも、行けば、早いし、いまなら、空いているはず。

こうして区役所で義援金申請をすると、
あなたの通帳に、義援金が入金されます。
少なくとも20万円~25万円、
状況によっては50万円~150万円のお金が支援されます。

義援金はその場で現金でいただけませんし、
翌日通帳に入金されるわけでもないので、
お金を貸してくださる当てがなければ、
預貯金が底を突く前に一日も早く申請してほしいと願っています。


テーマ:仙台 - ジャンル:地域情報


震災後に体調を崩したり病気を発症した人たちの医療費
震災数ヶ月経って、
体調を急に崩される方たちが出始めています。

わたくしの友人や知人も何人か体調を壊し、
一人は、治り掛けていたがんが再発して入院し、
そして、ホスピス病棟に入りました。
もう一人も、やっとゆっくりできるようになったという先月から、
体調不良となり来週から入院することになりました。

震災直後は何でもなかった体調の方でも、
数ヶ月経って持病が悪化したり既往暦を持つ病気が再発症したり、
体調不良となっている人たちが増えているように思います。
もし、体調を悪くしされた方たちの中で、
住居が「半壊」みおしくは「全壊」の方がおられたら、
ぜひ、知っていただきたいことがあります。


自治体から発行してもらった「罹災証明書」があるはずなので、
その「罹災証明書」を持って、何とか市役所(区役所)に行き、
医療費の減額申請をしてください。
ほとんど、医療費が無料になります。
診察台、薬代、入院費、手術費用も全部、ただになります。
震災との因果関係も不問です。

費用の心配をしないで、お一人で我慢していないで、
まずは、区役所にご相談になってください。
このブログをお読みくださった方で周囲にそうした方がおられたなら、
ぜひ、教えてさしあげてください。

「罹災(りさい)証明書」(←まだの方はぜひ発行してもらってください)

これを役所で申し込む(5枚くらい申請しておくとよろしいです)と、後日郵送で届きます。
この「罹災証明書」を受け取られた方たちは、義援金の受け取りをはじめ、
いろいろな被災者支援制度を受けられるようになります。



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震災被災者の間で広がりつつある格差(4)・・・・住まいを保持できなくなってきている人たち
皆さんは、地震保険に加入しておられるでしょうか。
集合住宅の場合、ほとんど加入しているものとばかり思っていたわたくしは、
震災後の再建はひとえに地震保険への加入の有無が明暗を分けてしまっている現実に、
驚愕させられております。

Cさんは仕事の都合とお子さんたちの通学の都合から、
自宅として立地のよい中古のマンションを買い、
返済も道半ばで今般の地震に遭いました。

立地が岩盤のため、マンションは倒壊も半壊もせず、
一部亀裂が入ったり配管などに被害が出ただけなので、
被害評価は当初、「一部損壊」と診断されました。
マンションの管理組合は形骸化していて、
誰も保険会社とのやり取りをする人がいなかったとのこと。

さらに、ここのマンション、
火災保険には加入していても地震保険には未加入でした。
住民の多くはこのことを震災後に初めて知ったそうです。

集会を繰り返しすったもんだの末に、
管理組合を立て直して業者と交渉することに。
再査定を要請したところ「半壊」と変わったものの、
マンションの修繕費はおよそ一億になることが判明。

世帯数がおよそ50のそのマンションでは、
半分以上は賃貸での入居者。
すでに他のマンションに移り住む人たちもいて、
自治体から出る義援金は診断された建物に住んでいるが対象なので、
マンションの修繕費用として拠出してもらうこともできず、
1億円の修繕費は、積み立ててきたお金だけでは足らず、
所有者は一世帯あたり200万円を別途、
負担しなければならないことになりました。
このお金を全員で用意できなければ、
破損したり亀裂が入って使えなくなってしまった配管、水道管だのの修理が、
仮修理のまま直せない状態が続きます。
全壊じゃないので、大規模修繕を選択せざるを得ない。
震災後の生活費の自力捻出に加えて、
こうした新たな負担増を前にし
途方に暮れていらっしゃる方たちが少なくありません。

同様に、

住んでいたマンションが「全壊」という診断を受けた集合住宅でも、
阪神淡路大震災同様の問題が発生して、
避難所生活をしている被災者に重くのしかかっています。

壊滅的な被害を受けた市内の沿岸部の区を除き、
比較的被害が軽微だった仙台市ですが、
およそ60の集合住宅が「全壊」診断を受けたそうです。
臨時総会では、「解体撤去処分」にして更地にして売却するか、
そこにマンションを新たに建て直すのか。
こうした問題を巡り苦悩する住民の前に、
次から次と難問が積み重なっている状態です。

特措法のようなもので救えないという障害があるのか。
二重ローン問題は、今回の震災でも自己責任で対応させるのか。
特に、さまざまな障害があってなかなか個人では対応できないマンション居住者は、
自己責任でどう対応すればいいのか。
それとも、マイホームを購入した国民は、
自己責任で対応すべきなのか。



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震災被災者の間で広がりつつある格差(3)・・・建物の診断次第
今日は、Bさんのケースをご紹介します。
これも違法なところは何もありません。

10数年住んでいた賃貸マンションが3月の地震で亀裂が入り、
知人宅に居候させて避難生活をしてきたBさん一家。
これからマイホームが建築されます。

地震後、マンション自体としては「半壊」と
診断された賃貸マンションでしたが、
いろいろな情報を得るうちに、

家財保険では倒れたコップも1ポイント!
壊れなくても1ポイントとしてカウントされることを知り、
部屋の中がモノが散乱して歩くところもなかったので、
その写真を撮って見せたところ、
カウントし切れない程のモノ=カウントし切れないポイント
となり、平均的な2LDK住まいの平均的な家財保険料として、
250万円が支払われることになったとか。

その後、再査定されたそこの賃貸マンションも、
評価が「半壊」から「全壊」に変わり、
地震保険(少ない額のものに加入していた)けれど、
500万円近く下りることになりました。さらに、
住宅全壊世帯となったので、Bさんには、
自治体からも300万円が支給されました。

加えて、2年間分の賃貸アパートの家賃分をも
まとめて支払ってもらうことにし100数十万円に。


かくして、

Bさんは現金で1000万円を超えるお金を入手。
マイホームは絶対無理だと思っていたのに、
思いがけない大金を震災後手にしたこの機会に、
夢のマイホームを建てることに。

震災地では土地や建物などの不動産の売値はかなり下がり、
本来なら手が届かない物件も射程内に入っています。
土地付きの中古住宅を格安で購入したBさんは、
地震で被害のなかった中古の建物を壊し、
更地にしたところに新しい住まいを建てる予定です。


こうしたBさんは、前のブログでご紹介したAさん同様、
火災保険に加入後契約できる地震保険に加入していましたが、
家財保険にも加入していました。
そこに、今回の「被災者生活再建支援法」という法律によって、
思いがけない大金を手にしマイホームを手に入れることができたわけです。
やはり、「震災太り」の一例になりましょうか。

こうした「震災太り」のケースは多々あるのですけれど、
入手できたお金の半分以上が税金であることを思えば、
あまり良い気分じゃない読者もおられると思われますので、
次は、住まいを保持できなってきている方たちのケースを、
ご紹介したいと思います。

いずれも、被災地で決して大きな声で語られることのない話。
支援の内実を知っていただき支援のあり方をお考えいただければ幸いです。

ちなみに、
以下は「一部損壊」から「半壊」に評価が変わったビルの一例。

110511_1044~0001

110511_1043~0002

110511_1043~0001

うわさを聞いて見に行ったとき、どこが壊れたのかしらと探したところ、
やっと見つけられたのがこの3箇所でした。

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