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京都 応仁の乱の史跡・・・・「百々橋」の礎石

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これは何かしら・・・
ということで、たまたま出会った由来書を読んでみることに。


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出た~~「応仁の乱」!ここにも応仁の乱の表示があったというより、この史跡は、
市中を焼き尽くした戦火、庶民にとっての戦禍としての応仁の乱ではなく、
まさに、戦そのものが行われたところ、開戦の百々橋の遺構としての史跡です。

京都では、「先の大戦」というと、大東亜戦争ではなく「応仁の乱」のことらしいと、
随分驚かされたものですけれど、由緒書にはたびたび登場する「応仁の乱」であります。

山名宗全だとか、細川勝元だなんていう武将の名前って、
戦国時代の歴史によほど興味がある人じゃないと分からないのではないでしょうか。
東北や関東出身の誰かが身近にいらしたら聞いてみてください。
おそらく、ほとんどの人は、「それ、誰!?」だろうと思います。

けれど、京都の方でご高齢の方なら、まず、ご存知あろうと思います。
いずれも室町幕府を代表する大名ですけれど、政略結婚など無意味だということを教えてくれます。
応仁の乱の幕開けとなった両武将ですが、山名は西軍、細川は東軍の総大将。
細川勝元は、あの石庭で有名な龍安寺を作った武将でもありますけれど、
両軍が対峙した橋が、百々橋で、上の写真はその橋の礎石です。

この戦いで京都は焦土と化したわけですから、
京都の方たちとっては忘れ得ぬ戦乱となり語り継がれてきたのでしょう。

ご参考までに以下、リンクを貼らせていただきます。

★山名宗全 ←かなり長文の説明なので、ゆっくり読んでいられないという方は、
こちらをクリックしてご覧ください。⇒ 山名宗前早わかり

★細川勝元(←クリックしてご覧ください)

対象的な性格の武将ですが、皆さまはどちらがお好きでしょうか。
いずれにしても、この応仁の乱で私たち日本人は人命同様、
世界に冠たる貴重な文化財の多くを戦火による火災で永久に失ってしまいました。

その後、それなりに復興された寺社仏閣は多いとはいえ、永久に失ってしまったものは、
いかに科学技術の粋を集めても保存のしようもありません。やはり、無念さは否めません。


以上、予約投稿です。いただいたコメントへの返信は週明けになります。ご了解くださいませ。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

京都 尾形光琳邸宅跡・・・・「美に出会えば、人生を失わずに生きていける」

CGによる「紅白梅図屏風」の復元想定図 ブログ
(光琳の代表作の一つ「「紅白梅図屏風」(CGによる復旧画)」)


尾形光琳と言えば、日本画で琳派と称される画風の始祖として有名ですが、
その後の日本のアート世界に大きな影響を与えた人物として
忘れてならない江戸時代の大アーティストです。

家がお金持ちで親の資産を食いつぶしたような典型的な道楽息子で、同時代に生きていたら、
果たしてこの道楽息子に魅力を感じたかどうか不明ながら、
その分だけいい仕事をしてくれたので、美術を愛する一人としては良しと思っています。

その尾形光琳の邸宅があった所に、
いま、立てられている石碑をご紹させていただきますね。


★ご参考までに⇒尾形光琳←お急ぎじゃない方は5分間で済みますからクリックしてご覧ください。活字が多いですけれど。


P3120968.jpg


尾形光琳の邸宅跡、御霊神社に立ち寄った際、散策中に見つけました。
地下鉄烏丸線鞍馬口から上御霊神社方面に入った住宅地の路地の角にあります。
この鞍馬口というのは、鞍馬山の入口というのではなく、
北大路と今出川の中間の住宅地で、街中です。


尾形光琳の「紅白梅図屏風」(の一部)は、
日本画の模写を学ぶ時の手本にされることが多いですが、


kakitsubata『燕子花(かきつばた)図屏風』


こちらの「かきつばた」の屏風も素敵ですよね。
屏風の前に立って眺めれば、「カキツバタ」の美に圧倒されそうになります。


世の中、溜息が洩れるような事件が続いています。
さぞかし、皆さまも憂鬱な思いを抱いておられることでしょう。

ストーカー殺人だの、出会い系サイトで出会った人に殺害されたりだの、リベンジポルノだの、
ネット普及に対する無防備なせいなのか、卑劣な犯罪が際限なく起こっており、
金銭目的で高校生が中学姓を殺害したり、労働基準法違反の労働を強いた(強いられた)り、
悪循環で多くの乗客が死傷する高速バス事故も繰り返され、通り魔殺人事件だのも繰り返されて、
人間性が壊れてしまった犯罪が後を絶たないです世の中です。

どうか、テレビを消して(出来たら、テレビを処分し)
ネットユーザーは、時間を決めてネットにアクセスし、それが出来ないなら(依存気味になったなら)
接続を絶って、一度、脳内をクリアにしてみてほしい。

体を動かすという意味では、ウォーキングやスポーツもいいけれど、
室内でならストレッチ、戸外なら公園で日向ぼっこしたり散策でご近所の庭木や花を眺めたり。
それで不審者に間違われそうな人は、お近くのギャラリーや博物館に出掛けてみる。
近くにないなら、ちょっと遠出して美術館に出掛けてみる。

美に出会えば、人は人生を失わずに生きていけるから。

尾形光琳邸宅跡に立った時、そんなことを思いました。

テーマ : 京都
ジャンル : 地域情報

京都 一条戻橋 Ichijyou Modoribashi in Kyoto ・・・現在の一条戻り橋

最後に、一条戻り橋の現在の様子を。


戻り橋1



戻り橋9



戻り橋10



戻り橋5


戻り橋3


戻り橋8


以上のように、現在の戻橋近辺は市民の散策コースになっています。
安倍清明が生きていたころとは随分違っているでしょうけれど、
数百年後も、いまとは随分異なっていることでしょう。



戻り橋11


以下は、ご参考までに。


戻り橋2


これで、「清明神社」シリーズは終わりです。
お越しくださった方にお楽しみいただけたなら幸いでした。神社仏閣に興味のない方、ごめんなさい。
チラッと眺めていただけただけでも、十分、嬉しい管理人です。

テーマ : 京都からこんにちは!
ジャンル : 地域情報

京都 近江屋跡・・・坂本龍馬&中岡慎太郎遭難の地

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京都の街を歩いていると、
こんな史跡をあちらこちらで目にします。
特に、探して歩いているわけじゃなくとも、
視界に入るものに対してちょっと注意をしているだけで、
こうした石碑や立て看板に気付きます。

いまさら、ご説明の必要もないでしょうが、
幕末に龍馬と中岡が暗殺された近江屋の跡地です。


近江屋跡


今日、「みんなの党」から江田氏が十数名の議員をひきつれて離党表明し、
それをテレビで眺めていたらこの史跡を思い出しました。

龍馬といえば、薩長同盟の立役者ですが、
やはり、これは凄いことだったのだと改めて思った次第でした。

薩摩藩に対する長州藩士たちの決して消せないであろう怒り恨み、
長州藩に対する薩摩の憤懣なる思いや忸怩たる思いを思えば、
この両藩の同盟など、特に長州にとっては、
感情的にとうていあり得ないことだった。
けれど、このあり得ないはずの同盟が成立したことによって、
日本の幕末史は大きく変動していったことは、
ご承知の通りです。

龍馬や中岡のような第三者の存在もさることながら、
両藩の同盟に当たっては、耐えがたき耐え、
個人的な心情や信条や厄介な感情さえも呑み込んで、
異論反論の同胞を説得し切った当事者たちが、
そこにはいたわけです。すべては、
日本の未来を見据えてのことでした。


たかだか「みんなの党」という一小党の中で、
党代表と前幹事長という二人の対立ごときものを、
この党では当事者も含めて誰も、
収めさせることができなかったのだなあと。

離党と新党結成というのは年末に起こりがちですが、
実に、スケールが小さい。小さすぎるなあと。


テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

京都 一乗寺下がり松・・・・記念碑で知った戦前の市村慶三京都市長の功績

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詩仙堂に足を延ばした帰りやバスで出かけたついでに立ち寄る和菓子屋さんの、
すぐ近くに立っています。こんな風に、住宅地の中にさりげなく立っているので、

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徒歩じゃないと、見逃してしまいそうなほどですが、
今日は、その記念碑をご紹介しますね。

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楠木正成が足利軍と対峙(たいじ)に陣を構えたのもこの地なんですね。
建武三年(1336年)のときのことも伝わっていました。

一乗寺下がり松と聞けば、イコール宮本武蔵の決闘の場、
そう、吉岡道場一門との有名な決闘が行われた地ですが、
そのイメージは、まるでその場を見ていたかのように描いた吉川栄治の小説や、
東映スター主演の映画、最近では「ばがぼんど」のあの場面ですけれど、
今日では閑静な住宅地である一乗寺下がり松近辺に、
そんな面影はまるでありません。

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こんな戦前の京都市長の顕彰碑もありました。
市村慶三という市長さんで、この碑文を見るまで知らなかった人物。
市長に就任してから4年間、いまでいう就任一期目で、
京都市のために尽力された市長さんだったゆえに顕彰されていました。
この方は、鴨川・高野川治水事業を推進したり、二条城の京都市移管を実現したり、

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京都の農業育成、子供たちの教育と保護、消防政策、保健衛生政策、
道路整備などなどにも尽力され、
市民から感謝される事業に邁進されたようです。

戦前の内務官僚にはこうした人物もいたのですね。
いつのことからか、昨今の官僚出身で首長になった人物というと、
中央との癒着、汚職、地元を食い物にする自己保身の才能多で、
地域のためには無為無策の首長といったイメージが多かったせいか、
正直なところ、驚きでした。

けれど、地域の産業育成のために尽力する元官僚首長というのは、
昔も中央官僚とは対立するもののようです。
鹿児島知事時代に、鹿児島の地域産業育成事業に奔走し、
中央のボスと対立。喧嘩両成敗で休職になり退官しています。

京都出身の方なので、最後のご奉公ということで、
地元のために尽力された市長さんだったのでしょうか。
戦前のこうした官僚に対して、再認識する必要があるなあと思いました。

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ジャンル : 地域情報

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