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実話に基づいた映画 『5 fingers』(五本の指)

5fingers ラスト

以前観た映画『サベイランス 監視』 (「Antitrust」)を、
先日また観たばかりでしたので、
ライアン・フィリップが正体不明の組織に拉致されて拷問を受けるシーンを見ていても、
どういうふうに助かるのかとどこかで期しながら観てしまった分、
ラスト、絶句。怖かったですね。


チェスをしながら、表情一つ変えないで、
拷問を続けるローレンス・フィッシュバーンも、
怖かったですけれど。

監督は、ローレンス・マルキン。サスペンスの得意な監督のようです。
2006年製作のアメリカ映画ですが、
ウィキペディアで、ライアン・フィリップやローレンス・フィッシュバーンを検索しても、
この映画が掲載されていないのは、何故なんでしょう。
ということで、拙ブログでご紹介することにしました。
この週末にゆっくりお読みいただければ幸いです。

5fingers.jpg

印象としては、まさに、『SAW』の雰囲気といっていいので、
スリラーやサスペンスが好きでも、
リアルな拷問シーンが苦手な方にはあまりおススメできませんが、
観終えた後にじっくり考えさせられてしまいました。


5fingers koibito

オランダの好青年(=ライアン・フィリップ)が、
恋人(=ミミ・フェラー)と幸せそうに過ごした後、アフリカの食品支援の
NGOのような仕事でモロッコにやってきます。
メリカ人ガイドを頼んで目的地に向かうバスの中で眠ってしまい、
気が付いたときには、いきなり
モロッコ人と思われる人たちにガイドのアメリカ人(=コルム・ミーニイ)
と共に拉致されてしまう。


5fingers 2

目が覚めたときには、目隠しをされ椅子に縛られている状況で、
ここがどこなのか、なぜ自分はこんな目にあっているのか、
相手の正体も拉致された目的も分からないまま、まさに「SAW」ワールド。
ライアン・フィリップは、
「いったい何なんだ!ここはどこなんだ!どうしてこんなことをするんだ!」
「誰かと間違えているんだ!」とめちゃくちゃ叫びます。
無理もない、うん、分かる分かる、と思っていると、


5fingers 4

いっしょに背中合わせに縛られているガイド役のコルム・ミーニイが、
慌てるな、拉致したのはテロリストグループなら、連中は、
自分たちをアメリカ人だと思って身代金目当てかもしれないから、
アメリカ人じゃないと分かればすぐに釈放される。
ここでは、よくあることだと語り、騒ぐと殺される、騒ぐなと
妙に落ち着いて見せるのですが、
「よくあることだ」という話に驚愕したライアン・フィリップは、
自分はアメリカ人じゃない!オランダ人だと叫び、
背後のガイドに「連中には違いは分からん」などと言われ、
パニックになる。

そうそう、騒いだところでどうなるものでもない。
相手の出方を待つしかないと思って観ていると、
騒ぐせいか、パニックのライアンは注射を打たれて意識を失ってしまう。

状況の意味が拉致した側の正体が分からないのと同様に不明のまま、
再び目覚めたときには、
テロリストグループと交渉しようとしたガイドが
問答無用で撃たれてしまう。
ライアン・フィリップは、再び、
「わ~~~~なんてことをするんだあ!」とパニック。


5fingers 5

再び注射で意識喪失して目覚めたとき、
目の前にいたのは、
チェスと共に分けのわからない話をする男(=ローレンス・フィッシュバーン)。
無表情のまま座っていて、「話せ」というばかり。
「だから、何を話せというんだ」と訴えても、
相手は、すべてお見通しであるという態度で、「話してもらおうか」と。


ローレンス・フィッシュバーン

片腕を縛られたままチェスを強要されていく中で、
「これほどチェスは面白いのに、いまやチェスのできる西洋人とは滅多に会わない。
なぜ西洋人はチェスをしなくなったのか。ポーカーをやりすぎたからだ」
といった感じで会話が続けられていくんですが、
ローレンス・フィッシュバーンの質問にライアン・フィリップが答えると、
「それは、嘘だ」と断罪され、いきなり指を切断されてしまう!
映画を見ている側もそんな理不尽な!と思う心理になりますが・・・・

仕事は何だと問われ、「銀行員をしながら、音楽をやっている」
「ほう、私はアーティストは好きだ。楽器は何だ」「ピアノだ」といった会話の後、
いきなり、そういう目に遭うライアン。
「オランダ人だというのに英語が流暢に話せるのは何故だ」と聞かれ答えると、
「嘘だ」と断罪され、指を切断される。
ライアン・フィリップは叫び声を挙げながら失神していきます。

観客は、もう、あまりの展開に目が離せなくなっているはず。

ライアン・フィリップは、本当に誰かと間違えられて拉致されたのか。
そうだとしたら、誰と間違えられたのか。という思いと、
回想シーンの中でピアニストであることを彷彿させるシーンが出てくるので、
ピアニストの指を切断するなんて!
間違いだったら取り返しがつかないではないかと
という思いで震えてくるかもしれません。


5fingers 6

つぎに目覚めたときに目の前にいたのは、イスラム教徒とおぼしき女性。
ライアンは彼女に「ここはどこか」「彼らは何者なんだ」と矢継ぎ早に問います。
そして、「僕は間違えられてここにつれて来られた」
必死に訴えますが・・・・、


大使館に連絡してくれ

何を尋ねても答えてくれない女性に、
ライアンは言葉が通じていないのかと思い、いくつかの外国語で話しかけ、
大使館に通報してくれるよう懇願。

5fingers 9

映画冒頭、旅行者かと思えたライアン、
やがてNGOのような仕事をしているように思われますが、
彼自身何が目的でモロッコにきたのか、実は、わたくしたちにも分からない。
ライアンは何故数ヶ国語も話せるのか、
どこで学んだのかと思ってしまいますが・・・・
本作は、アクション映画ではなく場面はほとんど変化がないのに、
実に展開が速い。


何も答えない女性

「ここには、大使館なんてない」と言われ愕然とし、ライアンは
モロッコから南に下ったどこかの国に監禁されてしまったのだと考える。
傷の手当に雇われただけというモロッコの女性が、
どうして流暢な英語で話しているのか、まったく考えない。

それどころか、この女性との対話で自分がCIAだと疑われているらしいと思い、
それはまったく誤解だと疑いを晴らすべく
あなた方と自分は、宗教と社会思想という手段は違うが
目的はいっしょなんだと目を輝かせて歩み寄っていくのです。


5fingers9.jpg

それにしても、指を切断されているというのに、
常人の神経を超越して痛みに強いところは、まったく普通ではありません。
ましてや、ピアニストなのに指を失ったことをさほど嘆かない。
だいたい指を切断されて普通に歩けるところが、
アンビリーバブル!

「さすがに痛みによく耐えられるようにできているらしい」
「・・・・・」
「その体、どこで鍛えたんだ」
「そんなところはない」
「嘘を言うな」
「嘘なんかじゃない」
「指はあと何本かな。このままだと死んでもらうことになるぞ」
「・・・・」


5fingers 8

ライアンは、果たしてCIAなのか。
何かの極秘任務でモロッコにきたのか?
何だかへんだぞと思えてくる頃に、


5fingers 10

傷の手当をするために雇われたという敬虔なイスラム教徒のはずの女性も、
いつしかしっかり拷問に加わり始めるのですが、
ライアンは、そのことを変だとも思わない!
この女性を演じていたジーナ・トレスも、
実に怖かったですが、


ローレンス・フィッシュバーン2

こちらも実に怖かった。
ローレンス・フィッシュバーンは、果たして何を聞き出そうとしているのか。ライアンは、
ローレンス・フィッシュバーンが拷問してまで聞き出したい何を、
どんな情報を持っているというのか。


5fingers 11

ラストは度肝を抜かれる結末ですが、
お互いに相手の正体が分からないまま、
相手から知りたい情報を吐き出させるために
緊張感がいや増す心理ゲームを展開していくわけですが、
まさに、ポーカーゲームのごとくです。
しかも、命をかけてのゲームにライアンは追い込まれている。


観終えたとき、
これは、≪持つもの≫と≪持たざるもの≫との戦いと同じ構図だと感じました。
≪持つもの、持ち得ているもの≫は、常に、
≪持たざるもの≫を暴力で威圧し思いのままにしようとする。
そうした構図が戦争にもなる。
第一次世界大戦と称される第一次欧州戦争も第二次世界大戦も、
植民地を持つ大国と持たない大国の戦争だった。

植民地であれ、お金であれ、軍事力であれ、
世界の歴史は、そういう流れのままです。
いまは、戦争も国家と国家の戦争に加えて、
非対称の戦争と称されるテロとなっている。

本作でも、お互いに相手を
テロリストグループだと位置づけての心理戦のようになりますが・・・・
現実をこのような形で象徴させているのだとしたら、
5本の指は、まさに5大陸というまさにこの世界であり、
5本の指を切断するものが象徴しているのは、
国連で大きな権限をもって世界をリードする5大国となるのでしょうか。

5fingers ラスト2

切断される指にあたる国や民族とは、
果たして自国ではないとどこの国なら言えるでしょう。

ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督作品にも同名の映画があり、
本作は、それのリメイク版なんですね。
見ていないので比較のしようがありませんが、
前作は、第二次世界大戦下におけるトルコで実際にあったスパイの実話、
それに基づいて製作されたと知り暗澹たる思いになりました。


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映画「あるスキャンダルの覚書」(「Notes on a Scandal」)

あるスキャンダルの覚書 0

この映画をジャンル分けするとしたなら、
ホラー映画に分類したいと思ったわたくし。

独身で永続勤務で表彰されそうな堅物の老女教師バーバラ役を、
007シリーズでイギリス諜報部のM(エム)を演じているジュディ・デンチが演じ、
この老教師の指導監督の下で美術教師となったシバ役を演じるのは
ケイト・ブランシェット
このバーバラとシバの二人の女性の≪友情≫に生じていく愛憎ゆえに、
イギリス教育界の一大スキャンダルが発覚していきますが、
結末も含めてどちらの女性にも共感できなかったせいもあってか、
物語そのものが、わたくしにはホラー映画のような展開に感じられました。


あるスキャンダルの覚書 1

教え子の生徒の中に絵の才能が感じられる男子生徒がいて、
関心を持ち始める美術教師のシーバ。
その生徒はいかにも思春期の男の子にありがちのシャイさとナイーヴさを
併せ持っており、教師として放っておけないタイプ。
しかも、彼の話から、母親を亡くした彼の家庭に何か問題があると思うシーバは、
何とか少年の力になりたいと思うようになります。


あるスキャンダルの覚書 2

先生、先生と慕ってくるようになった少年は、
シーバに対して教師に対する思慕の情などではなく、
異性として熱いまなざしを向けてくるようになります。
「先生、スマートで、すっごくかっこいいよ」
「ちっとも、トシなんかじゃないよ、すごくきれいだ」とあけすけに言われ、
最初は、先生をからかうもんじゃないわと思っていたシーバーでしたが、
だんだんと動揺していきます。


あるスキャンダルの覚書 12

そんなシーバの様子を注意深くじ~っと見つめている人物がいました。

職場の同僚で、新米教師の指導監督をする立場にあるベテラン教師のバーバラです。
彼女は日々、文学的な、バージニア・ウルフ然とした気分で、
日記をしたためている女性で、穏やかながら、
実に厳格な教師然とした堅物といった感じです。
毎日、何十年間も書き続けている日記・・・・自己完結ワールド。
そこには、シーバの様子や心理が、まるで当人の心の奥を見てきたかのように
克明に書き綴られていて、彼女が特定の男子生徒に対してときめきを感じ
”恋する女”になった様子、その変容振りが書き綴られ、しかも、
自分は彼女の秘密を守るのだとも書き記していました。

「いつかシーバも気づくであろうと。
私の行為と思いは、彼女への献身的な友情、愛であり、
この関係は、男のように裏切ったりすることのない運命的な
尊い≪友情≫なのだから」と。
リアルの交友がないゆえに、
この日記につづられた確信や感情は、実に病的で、
思わず、うわ~っ!です。

そんな気持ちになど気づく余裕もないシーバは、
既婚女性で二児の母親。


あるスキャンダルの覚書 4

家庭に帰れば、専業主婦の女性と同じように
食事の支度に取り掛かり、家庭の主婦として頑張る日々。
家庭的な夫を演じているのは、ビル・ナイですが、
さすがというべきか、実に安定感がありました。
人は、とくに女性は家庭に”安定感”を求めますけれど、
その”安定感”に飽きて”情熱”を求めるとどうなるか・・・・
そういうクラシカルなテーマもあるといえば、あります。
夫婦関係が、ホラーになりえる構図です。


あるスキャンダルの覚書 5

シーバは、どこにでもいる普通の女性です。
泣いて帰った思春期の娘の悩み事にも耳を傾け、
まさに良き母としても精一杯頑張っています。

ダウン症の息子と思春期真っ最中の娘と、
ボーイフレンドのことしか頭にない娘ですが、
かなり年上で温厚な夫。
こうした家族を相手に日々繰り返される日常の中で、
夫との間に壁を、隙間を感じていて空しさを拭えないでいる。

だからといって、自分を一人の女として賞賛し慕ってくれる男子生徒のことが
だんだん頭から離れなくなっていく心境って、イマイチ飛躍しているなあと。
夫と年齢差があるだけに、若さに対する無意識の何かこだわりが、
美術教師のバーバラにはあったのでしょうか。
40代の女性が15才の男の子を性的対象に考えるなど、
正直な感想として、気分が悪くなる。

けれど、シーバにとって、
彼は、職場である学校に行けば、熱い視線を送ってくる男の子。
自分をきれいだと賞賛してくれる男の子。
先生以外は目に入らないとまで言って口説いてくる男の子・・・・

やがて、花いちもんめじゃないけれど、シーバは、
「あの子が欲しい」という情熱に押し流されていきます。
求められるままに、とうとう、一線と超えてしまう。

しかも、相手は15歳。女性というより女体に夢中な年頃。
シーバは、ためらいながらもその子と情事に及ぶにあたり、
このことは誰にも秘密よと念を押す。
男の子も、僕はそんな馬鹿じゃないと切り返すほど生意気ですが、
だんだんとシーバへの態度が豪胆になっていきます。
さあ、大変・・・

未成年の教え子との禁断の情事です。しかも、自分の娘と同じ年ごろ。
周囲に知れたら、何もかも失ってしまうとおびえます。

ここで、拒否反応を持ってしまう女性も多いかもしれませんね。
これが、アメリカで実際に起こった事件を基にしていると知ればなおのこと、
子育て中の方は拒否感が生まれるのではないでしょうか。

事件を基にして書かれたという原作は読んでいないので
比較のしようがありませんけれど、
映画は映画として観るに限ると思うので、
あくまでこの映画のお話として進めさせていただきますね。


あるスキャンダルの覚書 3

初体験後の男の子の気持ちは察するしかないけれど、
大好きな先生を女性として意識し性的な関係を夢想し、
それが現実のものとなったとき、もう天にも昇る気分なのでは?

若くて怖いもの知らずゆえに、
男の子はもっともっと女体を求めるようになっていきます。
40代であろうが関係ないのです。
何せ初めての女性だから。
シーバもむさぼるようにして男の子との情事にのめりこんでいく。
こうなると、

男の子の何かが変わっていく。

というより、実は、この男の子、
最初からソレがお目当てだったフシがあり、
「先生」を「オレの女」にしちゃったことで、大変身!
この男の子を演じているアンドリュー・シンプソンは本作のときも15歳。
難しい役ながら、ハマっていました。


あるスキャンダルの覚書 6

携帯メールで愛の言葉をやり取りしているうちに、
家族や友人たちが集まっているクリスマスに、
少年から携帯に「やりたい」というメールは来るわ、
家に押しかけてきては、「いっしょにいたいのに」と駄々をこねられる。
教え子と性的関係を持ち続ける緊張感と
たまらなく彼が欲しいという誘惑に耐えかね、
とうとうダウン・・・・


あるスキャンダルの覚書 7

そんな彼女をずうっと観察してきたバーバラは、
心中穏やかならず。人生において一度も愛されたことなく、
体に触れられたことがない女性なのです。
とうとう切れちゃって、「教え子と関係を持つなんて」
「なんてふしだらな」とシーバを責立てるのですが・・・・

「あの子がたまらなく欲しかったのよ」と泣き崩れるシーバに対して、
寛容な精神を発揮し、大人として、「大丈夫」と諭します。
「このことは誰にも言わないから、安心して」
その代わり、「いますぐにあの子とは別れなさい」と。
そんなバーバラに涙ながらに安堵するシーバ・・・・
もぞもぞしてくるような場面です。


いかに鈍くても、ちょっとへんだと感じるのは、
このあたりからでしょうか。
ジュディ・デンチ演じる老女教師バーバラが、
ケイト・ブランシェット演じるシーバの情事のことを日記に書きとめながらも、
彼女が自分に助けを求めてきたことに対して、≪友情≫ゆえに使命感と責任感を感じ、
彼女が自分を見つめたことに対して、
「彼女とあの子の関係は誰にも知られてはならない。私が彼女の秘密を守るのだ。
それが、わたしの彼女に対する誠実なる友情であり、愛なのだ。
シーバは、いつかきっと知るだろう。何が本当の愛情か、誰が絶対裏切らないか、
運命の相手とは誰かということに気づくだろう」
といった内容の日記を熱心に書いては、一人安堵感を深めていくときの表情が怖い。

忍耐を持ってその日を待つ楽しみに希望を持ったと言えばいいのか、
クリスチャンの千年王国への信仰心と同じと言えばいいのか。
≪信じるものは救われる≫というべきか。
絶対の愛、そういう運命的な相手との出会いというものへの信仰というべきか。
そうした希望を抱くまでに、
バーバラという老女教師は孤独だったということでもありますけれど、
いまや、その孤独は愛に変換されたのです。
が、


あるスキャンダルの覚書 9

それが裏切られたと思ったら、どうなるか。
自分と「別れる」という約束をしたはずのシーバが、またしても男の子と会っている!
本作は、バーバラが日記に書いた文面を、
彼女自身が独白で語りながら展開していきますが、
映画はここからぐんとスリリングになりホラーの度合いを強めていきます。

自分の心の命じるまま、
「あの子が欲しい」「欲しくてたまらないの」という情熱のままに、
15歳の教え子との禁断の情事に熱情を注ぎ込んでいく若き女教師シーバと
自らの世界(日記につづった自分のイメージする世界)からは決して出てこずに、
相手との間に完全な愛を求める老女教師バーバラとの対峙。

そんな二人が自分たちの関係を、有難い得難い友情だと信じていて、
一方は、運命的な関係=≪友情≫だと信じているのですから、
この後の展開が、ホラーでなくてなんでしょう。
その急展開を担わされるのが、こちら。


あるスキャンダルの覚書 10

同じ学校の同僚の教師ですが、この男性教師、
バーバラのところに相談にやってきます。
その相談というのが、シーバと付き合いたいので、間を取り持って欲しいという相談。
ここも、実におぞましい。
教師も間違いなく労働者である前に、罪深き人間の仲間ではあります。
けれど、少しは聖なる仕事に就いているのだという自覚を持って欲しいなあ、と。
顔をしかめる前に、この映画をホラーだと思えば、これでいいのですけれど。

「あなら、彼女には夫も子供もいるということは、知っているでしょ」
「ああ、でも、彼女も僕に気があるはずだ」
「あなたの相談は、人妻の彼女と不倫したいから、彼女にもその気があるかどうか、
それを聞いてくれということなの」「・・・・・」「なんてふしだらな!」と言いつつ、
バーバラはそこで、
悪魔の微笑をもらすのであります。

その後、あっという間に二人は大変な状況に堕ちていくのですが、
堕ちて初めて本当の愛情を知る女性と、
堕ちても初めから堕ちているので懲りない女性との、
まさに力勝負の映画だったなあと。


監督のリチャード・エア監督は、
舞台やテレビなどで活躍してこられた方のようで、
イギリスやスコットランドでは数々の受賞歴があり実力者。
映画では、『アイリス』という作品でもジュディ・デンチを主演に撮っていますが、
絶賛されたこの作品、残念ながらまだ見ていません。
いつか見てみたいと思っています。


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ジャンル : 映画

自殺者が増え続ける国をどう思うか・・・・軍隊から家庭にいたるまで自殺する社会

警視庁の発表を眺めていたら、ため息が漏れました。
平成21年度の自殺者の数と今年に入ってからのその暫定値が公表されました。
ネットでもご覧になれます。2008年度の自殺者総数、3万2249人。
3万人を超える人たち、その人数・・・具体的にイメージできる方は、
どれだけいらっしゃるのでしょうね。


都内では毎日のように電車に飛び込んで亡くなっているようで、
こうした飛び込み自殺があっても、せいぜい気にするのはダイヤの乱れくらいで、
いまや誰も驚かなくなっているという話も耳にします。
自ら死んで行く人たちが、後を絶たない。

自殺者が3万院を超えたという報道に初めて驚いたのは、もう10年以上も前。
中高年(40代半ば~50代半ば)の男性の自殺者が増えたからだと言われましたが、
その理由として挙げられたのは、当時の経済的な社会現象。
不良債権処理などによる貸し渋りや貸しはがしなどによる経営不振、
そして過労死といった原因も問題視され、
中年男性のうつ病もやっと注目されるようになったものでした。
以後、自殺防止のいろいろな予防策が講じられ、
いまもボォランティアの方たちも頑張っておられるけれど・・・・、

相変わらず50歳前後になると自殺する男性は少なくありません。
戦乱の世の人生50年といった考え方に沿えば、21世紀となったいまも、
男性に用意されている人生は戦いの人生で、
それ以外の選択肢は考えられていないのかもしれません。

けれど、今般は、30代の自殺者が過去最多になったそうで、
その自殺者は、5000人近い(4850人)・・・・

自殺者の職業を見てみますと全体の56.7%が「無職者」でした。
30代で職を失った男性の自殺が増えたのだとすれば、
半数は既婚男性でしょうか。そうだとするなら、
ご本人の自殺によって遺族の人生も大きく変わってしまわれたことでしょう。
あるいは、その逆だったのか。
いずれにしても心身の支援が必要な人たちが、
それだけ増え続けていることになる・・・・・
自殺の理由として大きく挙げられていたのは、
「経済・生活問題」(7404人)と「家庭問題」(3912人)でした。
合わせて1万人を超えています。

こうして見ると、自殺者が出た家庭には、
自殺防止の機能さえなくなっていると言われても返答のしようがありません。
これでは、少子化は進行することはあってもやむことはない。
結婚したいと思う人たちが増えるのは、
結婚っていいなあ・・・と
思わせてくれる家庭が身近になければ無理ですものね。

けれど、忘れてならないのが、
自殺の理由でもっとも大きかったのが、健康問題」を悲観しての自殺でした。
その数、1万5135人。ここでため息も大きくなりました。

どうしてこんな社会になったのかしら・・・・

バリアフリーや共生社会などという言葉がいまなお国民の間に浸透せず、
標語で終わっているようなところがあるのは、
健常者を中心として考えられている社会だからであり、
しかも、健常者でも健康で生産人口を構成する人々を基準にして運用されている社会。
そこでは、健康に支障をきたした途端、社会からはじき出され、
人生も終わりだと考え思い込んでしまう人がたくさんおられるということなのかもしれない。

もしそうだとするなら、
この日本社会は健康者のものだということになりますね。
それを容認するがゆえの自殺ということになるのかもしれません。

そして、自殺者は圧倒的に男性が多い。
これは以前から指摘されてきましたけれど、
由々しいことだと改めて思います。

男性が死を選びやすいとしたら、その理由はどこにあるのか。
この社会が、女性以上に男性にとって生き難いとするなら、
男性にとって生きやすい社会とはどういう社会なのか。
そういったことが真剣に考えられているのでしょうか。

このままでいいはずがないのに・・・・、
息子のいる身として、いずれハズを持つ娘を持つ親として案じられますが、

ヒト科のメスとしてこうしたオスの自殺を眺めると、
適者生存という法則が働いて、強いオスが生き残り、
メスは生き残ったオスを奪い合うこともなく共存していくとしたら、
弱いオスの自殺はメスにはノープロブレムということになるのでしょうか。
けれど、人間社会の女性はそういうわけにはいきません。

以下は、今年に入ってのものですが、
自殺者の男女別を集計したもの。

1月
男 ・・・1898 女 ・・・761
2月
男 ・・・1775 女 ・・・706
3月
男 ・・・2242 女 ・・・827
4月
男 ・・・2156 女 ・・・871

男は女より弱いからだ・・・などという御託を、いくら語ったところで、
この男女差は解決しない。
何が、これだけの差を生んでいるのでしょう。
「男の子は男らしく、女の子は女らしく育てよ」というのは、いまでは≪差別≫とされ
性差による差別の解消が推し進められていますが、
それが、「らしさ」「らしく」といった性別役割の中にあった知恵を超えるものなのか。

無論、わたくしも性差別はするのもされるのも許せないと感じる。
また役割を外から押し付けられるのも嫌い。
だから、女性だから飯を作れと言われるのは、正直、たまらない。
女が男の補助的な人生を送る時代は、終わったのです。
でも、それで多くの男性が生き難いと感じているのなら、
女性は、生き易くなる道をいっしょに考える義務がある。
共に生きるというのは、そういうことだから。
男と女が共に生きる道を探るのは、人類の知恵のはず。
新しい時代に合った知恵を持たなければ、
いずれ社会は反動を生む。


昨年度の自殺者を地域別に見たデータもあります。
そこに自殺の原因を見ることは可能だろうか。

東京都 ・・・1019
大阪府 ・・・ 712
埼玉県 ・・・ 646
神奈川 ・・・ 609
愛知県 ・・・ 544
北海道 ・・・ 526

兵庫県 ・・・ 470
福岡県 ・・・ 432
千葉県 ・・・ 529

東京都とその周辺の自治体を合わせた首都圏が圧倒的に多いです。
首都圏人口の1割になるのではないでしょうか。
けれど、都市部に多いからといって、自殺を強いる問題が都市にあるとも思えない。
そこで暮らせないから死ぬというのでは話にならない。
そこで暮らせないなら暮らせるところに移るという選択肢は残されているのだから。
人の集まる都会での孤独などというのは、いまに始まったことではないし、
孤独な大衆を論じたリースマンにいまさら論拠を求めるのもむなしい。

ただ、昔はなかったように思うのは、以下の点。
自殺者が発生しているのは
会社、家庭、学校、といったところかりではなくなったということ。
軍隊においても起こっているということではないか。

自衛隊員や兵士の自殺が増えている・・・
兵士が、戦闘以前に自ら死を選ぶことによって死んでいくなど、
昔は聞かなかったように思うのです。
以前ここのブログで取り上げた自衛隊員の自殺同様に、
軍事超大国アメリカの陸軍において
自殺禁止命令が出されるほど自殺者が相次いでいるとか。
こうした現象を総合的に見たらどういうことになるのか。

昔の人たちなら、≪末世≫だと口にされることでしょう。

死にたいと思って自殺を断行する人たちを止めるのは難しい。
わたくしは、自死の自由もあると考えている人間なので、
自分のその自由を尊重してもらいたいと思うように
相手のその自由も尊重したい人間ですが、
自由には責任も付随することを思えば、
近親者、とくに子供たちに衝撃を与える死に方や、
死後に多くの人たちの手を煩わせる死に方は認めるわけにはいかない。
そういう自殺には罰則もアリ、にしてもらいたいほど。

その一方で、
まじめに生きてきて家庭や社会に貢献してこられた方が病を得たり、
年老いて病気になったときに自殺するしかないなどという社会では、
すでに社会の役割を果たしていないわけで、
そんな惨めな究極の選択をすることなくそれ以外の選択肢を選べるように、
医学の可能性を追求する研究費や、
診療や看護を受ける医療現場を整備し、
働けなくなった人たちの社会保障を整備するためにこそ、
わたくしは税金を支払いたい人間なので、
健康な人間中心の社会や健康な働き盛りの男性が自殺する社会に、
憤りも感じるわけです。


自殺者が増え続けている社会をいいと思わない人は、
自殺を思いつめる人がなくなるような社会を目指す政治を、
次の選挙までにじっくり考えてみたいものです。

テーマ : 気になったニュース
ジャンル : ニュース

先代萩と牡丹

牡丹と仙台萩

切花の芍薬もあっという間に開花しましたが、
こちらの牡丹も持参途中の車の中で、
あっという間に開花し始めたそうです。

半袖でいいくらいなので、かなり気温も上がっているのでしょう。
大好きな色です。殿方からお花をいただくのって心がときめきますね。
お心遣いに感謝です・・・

夜なので電灯の下だとお色がきれいにでません。
ちょっと場所を変えて写してみました。


20090526_02_03.jpg

いっしょに活けてある紫色のお花は、先代萩といいます。仙台の萩。
こちらの歌舞伎で有名ですよね。

8月下旬頃から萩は、宮城野萩と呼ばれ、
可憐な小花をたくさん咲かせる庭木に欲しい低木です。
先代萩はそれよりちょっと大き目の小花。
紫色の先代萩は、珍しい・・・そこにお気遣いを感じました。

さやえんどうなどの花に似ているなあ・・・と思ったら、
萩って、マメ科のお花だったんですね。
初めて知りました。(^^;)



テーマ : ■お花が好き♪
ジャンル : 趣味・実用

芍薬(シャクヤク)と牡丹

石楠花 

芍薬が安かったので、
買ってきました。


キッチンの石楠花

リビングとキッチンに活けましたところ、
あっという間に一輪が開花。
うれしくなって日中見入っていました。

ところで、芍薬と牡丹って、
見た目の違いだけではなく植物学的にどう違うのでしょう。
茎がそれぞれ木性と草性とあってもイマイチで、
もっと、な=るほど、と思える説明ってないかしらと思ったら、
こんなサイトを見つけました。
こういう説明なら、な~るほど!ですね。












日中、芍薬に思いを馳せていたら、
夜になって、書道教室にいらしている殿方から素敵な牡丹をいただきました。
添えてあったお花も珍しかったので、
次のブログでご紹介したいと思います。

テーマ : ■お花が好き♪
ジャンル : 趣味・実用

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月光院璋子

Author:月光院璋子
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自由=愛です。

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