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奈良旅行(13)・・・・高畑・旧柳生街道の町並み

奈良市内の高畑エリアは、旧志賀直哉邸近辺のように、
和風モダンというか土塀がおしゃれで美しい、閑静で散策にぴったりの一画がある一方で、
新薬師寺に向かいながら歩いていくと、
こうした格子(こうし)の美しい町家が続く町並みがあり、


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ああ、奈良だなあ・・・

思わず見入ってしまうだけではすまず、
気がついたらシャッターを切っていたわたくし。

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京都の町屋とはちょっと雰囲気が異なりますけれど、
これら伝統的な切妻造の町家は、
眺めていると本当に”伝統”の落ち着きを感じます。

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”伝統”を保持する町並みの美しさ、その保持を受け入れるだけではなく、
こちらのお住まいのように、町並みを保持しながらも奥の敷地に、
”個”の空間を調和の取れた形で保有する知恵も見掛けられ、
歴史と伝統文化の香りを受け継ぐ土地にお住まいの方たちに、
しばらく思いを馳せて眺めてしまいました。


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こんな風に手直しを加えながら、
守り伝え育んでいく”伝統”をお持ちの方たち、
羨ましい思いを抱かされました。

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新薬師寺に向かって歩いていく道は、
ちょっと路地に入っても、

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こんな町家が続いていて、
心躍りました。

こちらは閉まっていて残念。

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けれど、こちらは開業中。

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こんな医院で診察を受けて育つ子供たちは、
何だか幸せだなあと思われてならなかったわたくし。

高畑の旧柳生街道の町家のように、
中二階に作る窓を虫籠窓(むしこまど)というそうですが、
市内の繁華街から脇の路地に入った奈良町の町並みもまたこうした様式で、
奈良市内の観光スポットの旧家はおおむねこんな感じかしらと思ったら、
繁華街である奈良町の家の様式が、江戸時代に市内の東に伝播し、
その後、西部の高畑エリアの商家にもその建築様式が広がったのだそうです。
これらの美しい町並みは、その名残だとのことでした。
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テーマ : 京都・奈良
ジャンル : 旅行

奈良旅行(12)・・・・率川神社(いさがわじんじゃ)

率川神社

今回の奈良旅行で、訪ねたいと思っていた神社の一つを、
やっと、訪れることができました。
率川神社 (いさがわじんじゃ) です。
境内に立ててあるここには、
子守明神という紹介がされていましたが・・・・
奈良市内で最古の、平城京遷都以前からある神社であり、
それだけで、ドキドキしてきます。

率川神社 謎

古代史のファンの一人としては、
この神社に祭られている神さまが気になるところ。

姫蹈鞴五十鈴姫命 ・・・・これ、お読みになれますか。

「ひめたたらいすずひめのみこと」と読みます。
神武天皇の皇后とされています。
委細は、こちらの古代史データベースをご参考くださいね。


玉櫛姫命・・・・「たまくしひめ」

先に挙げた「ひめたたらいすずひめのみこと」の母神さまで、
事代主神(ことしろぬしのかみ)の妃とされていますが、
古事記と書紀では、その夫の呼び名が異なり、
大物主神(おおものぬしのかみ)の妃とされています。

記紀(古事記と日本書紀)に触れると、このあたりからも、
神代から古代史に至る日本史のミステリーが生まれてきます。
記紀には、時の政権によって隠された歴史がある。
いったい何を隠そうとしたのか。

記したくなくとも記さねば周囲が納得しない史実や、
隠したいことを記さねばならない立場になったとき、
人は、表記に何らかの工夫をするものです。
特に、時の権力者によって焚書などが行われるような事態になったとき、
真実を後の世に伝えたいという思いを抱く人たちが必ずいるもので、
その人たちはその人たちで、リスクを冒しながらも知恵を働かせる。
歴史の記述に関しては、特に、慎重に、知恵を絞るものなのではないでしょうか。

さて、当時の政権サイドとその権力に異を唱える立場だった人たちは、
歴史の記述と伝播の仕方にどんな工夫をしたのか。

三輪山に祭られている神って、
謎なんですよね・・・

その神を、平安京に遷都以降どころかその後も、
時の政権はかなり気にしてきました。
出雲に対する態度も気になります。時の権力サイドにとって、
そこまで配慮する対象がなぜ天照大神ではないのか。
気になりますよね。


古代史の謎解きが、いつしか
わたくしの仕事や日常生活のストレス解消となったのはこの十数年のこと。
日本のルーツを考え想像する旅として始まったのですけれど、
この記紀の謎解きに、いつしかハマってしまいました。
そうしたわたくしにとって、この率川神社もかなり興味を抱かせられる神社です。

率川神社(いさがわじんじゃ)の祭神の三人目は、
狹井大神・・・・「さいのおおかみ」

この神さまは、先に挙げた
神武天皇の后である「ひめたたらいすずひめのみこと」の父神様。

古代史に馴染みのない方や興味のない方には、
こうした名前はスルーしたくなるでしょうが、
もうちょっとお付き合いくださいね。

これらの神代の天皇や皇后たちは、
神話の世界の住人で実在しなかったと言われる方たちもおられるけれど、
なかなかそうは言えない疑問と謎があり、
学校の歴史で覚えさせられるあの大化の改新のヒーロー、
中大兄皇子の近江政権が大津宮への遷都を断行しても4年しか持たなかったのですが、
その当時もそれ以後の平安宮遷都当時も、
奈良の新しい都で、捨て去った飛鳥宮とそれ以前の三輪山信仰への配慮が、
そこかしこに見え隠れしています。

この奈良最古の神社といわれる率川神社もまた、
祭っている神を見るとやはり三輪山の祭神とつながり、
三輪山が出雲や古代朝鮮とも繋がっているところであることを思うと、
日本の古代史の真実は、学校で教わるような次元とは、
かなり異なるのではないかと思ってしまいますよね。




率川神社1

重箱の隅をつついているだけの大学の先生方の学説では
到底納得できないこともあり、いまや、
この古代の謎解きはとどまるところを知らない勢いと
申し上げてもいいかもしれません。

古代の天皇家及び豪族は、すべて渡来人だったという説はもはや定説と化す勢いで、
中には、聖徳太子は突厥人だったなどと言われる方までおられ、
日本の古代史の謎解きは、実に平成最大のミラクルワールドかも。(苦笑汗)

率川神社3

いろいろな歴史作家の仮説にわくわくしながら、
いまやエンターテイメントとなっているこの神代古代史の謎解きにおいて、
こうした奈良の古社を実際に尋ねるひと時には、
たまらないものがありました。

古代史の謎解きは、時空を超えてわくわくする
持続する内在的なエンターテイメントです。
と同時に、日本人であることを考えるヒントの宝庫でもあるのですよね。
興味を持たれた方は、この謎解きに参入されませんか。(=^^=)



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