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震災後初の外航船入港・・・仙台塩釜港

27日午後、仙台塩釜港に入港した「グローバル・スプレンダー」。パナマ船籍で、インドネシアで石炭約1万トンを積み、釧路港に寄港した後、到着した。

27日午後、仙台塩釜港に入港した「グローバル・スプレンダー」。
パナマ船籍船が、インドネシアで石炭約1万トンを積み、
釧路港に寄港した後、当地の港に寄港したというニュースに、
一人、複雑な思いをしつつも胸を熱くしたわたくし。
原発の放射能洩れに関する「風評」で、
これまで外国船が当地に寄港することを避けてきましたが、
そういう事態になった責任の多くは、
対応が二転三転し、かついまだに、
原発事故に対する対応が定まらない政府にあるのは自明です。

仏ドービルで開かれたG8は、
原発の安全性強化を図るとの首脳宣言を採択して閉幕しましたが、
首脳宣言では、今般の日本のように、
地震などの震災に直面するリスクのある地域における原発に関し、
現行よりも厳格な安全基準を策定するよう
国際原子力機関(IAEA)に要請しました。

来日中のIAEA調査団のマイク・ウェイトマン団長が言われたように、
「情報を収集して教訓を得ること。原子力の安全性向上を目指す」
という安全を一番に希求することは、G8でも当然だろうと思いますが、

福島第一原発の事故で、またも、
東電がデータを隠していたことがわかりました。
エダッテいる枝野官房長官がどのような会見を開こうと、
地震直後から今日までの原発周辺の放射線量について、
正確なデータが開示されなかったどころか、
政府も原子力委員会などの会見も、
あまりに、不信感を抱かざるを得ない以上、
こうした対外的な我が国の対応にどれだけ信頼を置けるものか。

http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210527017.html

このようなことを震災後2ヵ月半がたった今やろうとしているのです。
G8における各国の代表がいかに笑顔を振りまこうと、
震災当事国の総理が笑顔を振りまいていていいものか。

信じられない!!

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テーマ : 宮城県
ジャンル : 地域情報

激甚被害2ヶ月半・・・宮城県奥松島の今

震災直後から今日まで、
宮城県の石巻市、東松島市を中心に、
精力的に、献身的に、
被災者への支援活動をボランティアで行なっておられるお一人、
blackaiboさんがYou tubeに投稿された映像を
ご紹介させていただきます。




http://www.youtube.com/watch?v=qRFvs_J-GVc

宮城県の松島湾は、日本三景の一つに挙げられていますが、
その松島は、今回、被害がほとんどありませんでした。
すでにテレビなどで報じられたので、
ご存知の方も多かろうと思います。

あと1ヵ月もしないで夏を迎えることを思いますと、
松島が大津波に破壊されずに残ったことは、
宮城県にとって本当に希望となりました。
当地の復興をリードしてくれる観光資源として、
松島の存在は決して小さくはないからです。

その松島ですが、
仙石線の松島海岸という駅を降りた瑞巌寺のある観光地の中心部よりも、
絶景で知られるところがあります。
松島町の東側に位置する奥松島と称されるところで、
知る人ぞ知るエリアです。
松尾芭蕉がその絶景に打たれ「ああ、松島や松島や」で有名になった松島の、
その絶景というのは、まさに奥松島から眺めた景観でしたが、
奥松島は、当地の人たちにとっても穴場となっているところです。

その奥松島を有する東松島市の、
野蒜(のびる)海岸というところは、
ロサンジェルスのロングビーチを上回るほどの景観で、
この海岸から眺める夕陽をご覧になった方で、
心を打たれない方はおそらくいらっしゃらないのではないか。

その野蒜海岸を有する鳴瀬町というところも、
今般、実に激甚な被害を受けたところでした。
震災後2ヶ月半を迎えたその野蒜海岸の海岸通りを、
ご紹介したいと思います。

この映像を我が国の総理にもご覧いただきたかったのですが、
総理は嬉々としてG8に出かけ、そのフランスで、
官僚の書いたペーパーを読み上げていました。
このような総理の耳に、
物言わぬ日本の宝でもある景勝地の沈黙は、
どうしたら届くのだろう。

同じように、
福島原発から洩れ出た放射能も沈黙しているいま、

数字で表されるばかりの
漏洩した放射線の怖さと、

同じく、
数値のみを発表するだけの東電の
不気味な記者会見への不信の声もまた、
我が国の総理には届きそうにない。

聞いても聞かず、
聞いても聞こえず、

というのは、本当にどうにかしないといけない。

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ジャンル : 地域情報

激甚被害2ヶ月後・・・・宮城県名取市閖上( ゆりあげ)の今

仙台平野の南東、太平洋に面して広がる名取市に、
ゆりあげ浜という、夏になれば海水浴でにぎわった砂浜があります。
名前を、ゆりあげ浜といいます。
他県の方で、閖上という漢字を読める人は、
恐らくほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
わたくしも当地に来たとき、ゆりあげという地名は頻繁に聞けども、
閖上という地名が読めませんでした。

ゆりあげの港には魚市場があり、
仙台の南に位置する名取市や岩沼市の方たちに限らず、
仙台市民にとっても台所の一つでもあり、
ここの市場から運ばれる魚は新鮮で、
仙台市内の朝市ではわたくしもここのしじみを良く買いました。
浪の音という地酒が有名です。

そのゆりあげに、
先週の日曜日、他県からの客人の希望で、
重い気分のままご案内して出かけて参りました。




そのまま通り過ぎるかもしれません。
これから向かう地域のことをまったく知らないでいる方なら、

ゆりあげ1

2ヶ月経っても沿道にそのままの姿をとどめている、
津波で運ばれてきた船に気づかず。




こうした店は各地にあります。

ゆりあげ2

強盗に襲撃されたのではありません。
地震でもない、津波に襲われたコンビニです。
この2ヶ月の間にだいぶ片付けられていますが、
営業の目処は立たないまま・・・





通行禁止のままのゆりあげ橋に近づいた頃、
黙々と片づけをしておられる若い自衛官の姿が目に入りました。

ゆりあげ3

見れば、この自衛官の他には人の姿はなく、
彼は一人で黙々と瓦礫の片づけを続けていました。

震災から2ヶ月、知らない方がこの光景をご覧になられたら、
台風がきたのかと聞かれるでしょうか。

片付けても片付けても瓦礫やゴミは、
敷地内の隅の方に移動させるだけのようでした。

なぜって、
瓦礫を入れる土嚢袋がないからです。





ゆりあげ

このガードレールをご覧になって、
津波の破壊力を想像できる方が、
いったいどれだけおられるでしょうか。

ゆりあげ7

ガードレールをここまで捻じ曲げたほどの力が、
多くの人たちが住み暮らしていた街を、
街ごと根こそぎにしていきました。




正直な気持ちとして、

ゆりあげ8

ここから先には
立ち入りたくはありませんでした。
頭と心と体が固まりそうで・・・


ゆりあげ21

こうした光景は激甚な被害のあったところでは皆同じだと思います。
宮城県でも太平洋沿岸部の多くの都市や町が、
3・11に激変しました。

震災直後の泥と瓦礫だったころ、
多くの自衛官、警察官、消防隊員の皆様が、
その中で必死の人命救助にあたられ、
行方不明者を探してくださいました。

そして、

2ヶ月経ったいま、
街ごと消えてしまったこのゆりあげは、
風の音以外は聞こえてきません。

ゆりあげ14

まだまだ片付けられることもないまま、
放置されている瓦礫が、
このように手付かずのまま。

yuriage7.jpg

重機が入っていても、
その数は足らず、
あまりに足らず、


ゆりあげ11

集められた瓦礫も、
こうして山積みになったまま。


土嚢袋が足らないからです。
あまりに足らないからです。

紙くずの絡まった木片や、金属くず、壊れたガラスくず、
建材のコンクリートや石膏ボード瓦礫などの瓦礫、
陶磁器の破片やプラスチック類などを入れる袋がないのです。

作業をしてこられた皆様の、
怒りを通り越した諦めのため息が、
この瓦礫の山のように黙々と、
積もっているはず・・・なぜ土嚢袋がないのかと。

ゆりあげ13

片付けてやりたいのに、
重機が足らない。土嚢袋がない。
ないないずくしです・・・・

なぜ、ないのか。
なぜ、2ヶ月経ってもこの状態なのか。



ゆりあげ24

いかに復興後の街づくりのアウトラインを考える上で不足だとは言え、
災害対策基本法を発動できなかった政府の、
あまりの混迷ぶりと無策ぶりに対し、
もはや流れ出る涙もありません。


ゆりあげ15

震災後、次から次と立ち上げられた会議の数々・・・
昔の人は言いました。
船頭多くして船山に登ると。

会議には多くのその道の専門家なる方たちが参集しておられるとのことですが、
そんなに会議が多くては、会議を取りまとめる人間の数も多くなり、
意見や提言や助言を行なってもその数はあまりに多くなり、
そのたびにあれこれと指図する人も増えるばかりで、
政治主導どころか統率もとれず、結果として、
目指す方向に物事が進まないどころか、
リーダーにとっても国民にとっても被災者にとっても、
船が山に登るような事態になる。

恐らく、政府の目線は、
違うところにあるのでしょう。

被災地各地の自治体の長は、それこそ、
震災後、不眠不休に近い形で奮闘しておられます。
なぜなら、町民の、市民の、県民の命と財産、
そして暮らしを守るために尽力することこそが、
自分の務めであると分かっているからです。
無論、当市の女性首長のように、そうじゃない方もおられるけれど。


yuriage9.jpg

国民あっての国であり、
国は国民の生命財産を守ってこその国ではないかと、
震災後、祈るような思いで政治主導を期したかったけれど、
期待しても駄目なものは駄目なのでしょうか。
東電のように駄目なところはどうやっても駄目なのと同じなのか。

被災した国民のために、
重機と土嚢袋がないならどこにあるのかを探し、
一日も早く十分な量の重機と土嚢袋を、
被災地各地に集中して投入してもらいたいものです。



日本にないなら、外から買え!
買えないなら、頭を下げてもらって来い!

テーマ : 宮城県
ジャンル : 地域情報

さすが防災意識日本一と称されたはずなのに・・・

5,17のブログに 3

近所の散歩道からの眺めを写真に撮り、
こうして眺めていると今回の震災が嘘のよう。
仙台中心部を流れる広瀬川は以前と変わらず、
新緑も初夏を迎えていっそう輝いています。


震度6強でも7でも地震で亡くなった人はいないよと、
さすが防災意識日本一のところだと、
そう言われるはずだったのに。

他のところより
はるかに防災意識が高かった自治体の、
気仙沼や南三陸の町の人たちも、
この大津波で街ごと消えて逝ってしまったなんて・・・

悔しい。





★ご参考ください⇒宮城県の防災危機管理ブログサイト

テーマ : 仙台
ジャンル : 地域情報

地震前夜、地震直前、地震翌朝

これらをここのブログに掲載するのが憚られておりました。

けれど、震災後のテレビ報道を見ていると、
岩手宮城福島の三県で甚大な震災被害を受けた町の映像が
繰り返し流されるけれど、
個人として同じような被害を受けている他県の被災者の方たち、
茨城県や千葉県、栃木県や長野県などで、
相当な家屋被害を受けている被災された方たちのことが、
知りたいのにほとんど放映されません。

また、甚大な被害を受けたここ宮城県でも、
全県的に大きな被害を受けているわけではないことも、
テレビでは同様に放映されない。

こうした偏った報道のもたらす影響を考え、ここのブログで、
以下の写真を公開させていただくことにしました。
(公開したのは、この日記の日付の5月18日よりかなり後です)

この1月、春頃に大きな地震が来そうな予感があり、
我が家で唯一配管などの耐震工事をしていないキッチンとダイニングルームを、
急いでリフォームをかねて工事をすることに決めた次第でした。
周囲の友人知人も、わたくしの話を真面目に考えてくれたせいか、
家具の耐震補強やそのための補強工事をした人たちもいます。


2月1日から始まる予定だった我が家の工事が、
降雪のために大工さんたちの予定が狂い、
2月の半ばを過ぎてやっと工事は始まりました。

出来るだけ急いでいただいたのですけれど、
大工工事の遅れが他の電気や配管やクロス工事などの遅れを生み、
工事はなかなか予定通りにいかず忍耐の日々となりました。
それも、あと二日でやっと終わる!というときに、
地震が起こりました。

震度6強と思われる揺れは、いままで体験したことがないような長い時間続き、
帰省中だった娘と、居合わせた大工さんや電機工事の方たち、
総勢6名で一緒にこの大震災を体験した次第です。

あれほどの揺れでも皆怪我一つせず無事で、
工事中だった我が家では壊れたものは何一つなく、
(食器類はほとんど段ボール箱に詰めていたので)

停電となっても昼間でしたので、
避難とご近所での情報収集も行うことが出来、
避難の際の準備も何も困ることなく出来ました。

断水となってもマンションの排水用貯水(トイレの排水)と、
飲料用調理用に保存している水が使えましたので、
夕方まで自宅で様子を見ながら皆で過ごしました。

ここのマンションの住民の方たちの多くは不在で、
住民の避難誘導と避難できないでいらした方が出たので、
を管理人さんと救出。

以前ここのブログに書きましたけれど、
非常時の住民の避難誘導のことを決め訓練したのは、
わたくしが理事長のときでしたので、
そのときの訓練が役立ちました。

★この避難誘導と住民の方たちのこととは、
いつか改めてお話しさせていただくかもしれません。


地震でライフラインが切断された世帯の数は不明のまま、警察からの要請があり、
わたくしたちは夕方遅く避難所に指定されている近所の小学校の体育館に
住民の方たちと一緒に避難しました。

さて、

以下は、工事中だった我が家のキッチンの写真です。

震災前日
  ↓
地震前夜




震災当日
  ↓
地震直前




震災翌日
  ↓
地震の翌朝


これらの写真の日付をよくご覧ください。

一市民の家の中のこととはいえ、
このように被害のないあるいは軽微な家屋の事があるのです。
報道では一つも知らされていないせいか、他県からは
仙台市内も壊滅的な被害を受けたかのように思われていますけれど。

わたくしが震災後に拙宅を避難所として開放した背景を、
この写真でご理解いただけると思います。
ここには、自家発電機も備えられています。

その後、被災された方たちのあまりに大変な状況を知り、
わたくし自身、この写真を公開することが憚られて参りました。


けれど、報道がまったく取り上げない当地の様子、
被害がほとんどない、あるいは軽微な被害で済んだ市民が
仙台市内に少なからず大勢いるということ、
被害がなくオール電化の家や非常用の準備をしていた世帯の中では、
震災前と変わらない生活を送っていたのです。
そのことも知っていただきたいと思った次第です。

無論、ここのマンションでも被害はさまざまで、
家の中がすでにめちゃくちゃという方たち、、
食器ふが全滅し、家具という家具がもう使えないほど破壊され、
天井のシャンデリアが落ちて歩くことも出来ない程ガラスが散乱し、
リビングボードが倒壊し、ピアノが飛んで壁が壊れたという方ももおられ、
いまでもこの写真を掲載するのが躊躇されているほど。

重量感のある低い家具だからと固定していなかったり、
家具類が地震波に対して直面して置いていたり、
それらは、避けようと思えば避けられていた被害だと思われますが、
起こってしまえば、被害は被害です。

以上のように、個々の世帯の被害はさまざまなれど、
地震後の当マンションの診断は「半壊」となりました。
地下の排水管の断裂や駐車場の陥没やはがれおちた外壁や
ひび割れなど多数生じた内外壁があるからです。


それでも、我が家のように、
自宅が無事だった市民住民の少なくない方たちが、
いま、自分たちに出来ることを出来るときに出来る形で、
被災した方たちの支援活動に頑張っていることを、
ぜひ知っていただきたいと思いこのブログを掲載することにしました。

軽微な被災者が、甚大な被災者を支援しているのです。

被災地の人たちが被災者支援で頑張ることが出来ているのは、
我が家のように何一つ壊れなかったという家が、
市内だけではなく被災地の自治体の各地域において
少なくなかったからだと思います。

家屋も全壊し家族も亡くされて、
避難しておられる方たちが大勢おられる一方で、

家屋が半壊しても住む家があり、
家族が無事だったという人たちはいま、

感謝と祈りの気持ちと申し訳ない気持ちとを抱えながら、
被災した人たちをボランティアとして支援しているのです。
黙々と支援しているのです。


そうしたことがほとんど報道されませんので、ここでお伝えすることで、
少しでも被災地の状況をご理解いただき、
皆さまにご支援いただけるあり方を考えていただければ、
幸いに思います。

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