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九州旅行(1)・・・・筑後国一宮「高良大社」

九州旅行は三度目ですが、台風でキャンセルした計画を入れれば、
今回が4度目の旅になっただろうと思います。
やっと実現した神社巡りに特化した旅は、今回が初めてですが、
取材と調査を兼ねての旅行でしたので、ブログでは限定的なご紹介となります。

ということで、福岡空港から博多のホテルに荷物を置いて、
最初に向かったのは高良大社。
久留米にある筑後国の一宮です。

電車を乗り継ぎ、久米大学前という駅で下車。
バスの接続が悪くタクシーで高良山に向かいました。
運転手さんがそこのご出身だったので、
数十年前のこと、当時大人に聞かされた話など、
実にいろいろのお話を伺うことが出来て楽しかったです。

高良大社 筑後一宮 久留米

写真の量が莫大で、あれもこれもご紹介したいのですけれど、
今後も神社の写真が続きますので、まずは、一枚。

さすが、筑後一宮の神社ですね。
こんな山の中に、こんなりっぱな神社があろうとは・・・

事前にネットでも眺めて参りましたが、
実際に自分の目で見るまでイマイチ実感が持てなかった分、
目前の社殿には目を見張りました。
やはり、写真では伝わらない空気というもの、目に見えないけれど、
圧倒的に感じるもの、そこから浮かんでくるイリュージョンなど、
歴史を探る上で欠かせないものと出会える旅というのは、
やはり、得難い喜びですね。
これが、創建4世紀と言われる由緒の高良大社か・・・と、
そこに立ち、上代の、この国のありように思いを馳せ、
胸高まるものがあり、実に感慨深かったです。

高良大社は、
筑前、筑後、肥前の三国にまたがって広がる筑紫平野の中央に位置し、
高良山(こうらさん)という山の中腹に鎮座。
昔、高良玉垂宮と称されていた大社で、
ご祭神の一人は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)といいます。
玉垂さんという呼び名で親しまれているとのことで、
信仰の厚い歴史がそこに垣間見られるようでした。
大社の「高良記」によれば、ここで祀られている神様は、
有明の海の向こうからいらした神様とのこと。
高良大社近くの大善寺というお寺でも、
大善寺の玉垂さんという呼び名の神様が祭られていると伺いましたが、
今回は、行きそびれてしまいました。

後の二神は、八幡大神と住吉大神。
はちまんおおかみ、すみよしおおかみと読みます。

4世紀の仁徳天皇の時代、あるいは履中天皇の時代のこの国は、
このようなりっぱな宮を山中に創建できたのだと思うと、
当時のこの国の姿がどういうものだったのか、
いやでも考えさせられてしまうわたくし。

ちょっと話はそれますが、
仁徳天皇は、かつて仁徳稜とかつて呼ばれた世界一の墳墓で知られる天皇ですが、
その墳墓は、いま、大山(だいせん)古墳と呼ばれるようになっています。
古代史に特に関心のないご年配の方にとって、教科書で習ったことが
このように変わってしまっていることに驚かれるのではないでしょうか。

墳墓の呼び名を変えるほどの柔軟性が宮内庁にあるのなら、
ぜひ、墳墓の発掘調査を研究者の方たちに許可してもらいたいものです。
敗戦後、仁徳稜にあったものはGHQに持っていかれて、
発掘調査を許可したら、ほとんど何もないことがバレてしまう。
という話を耳にしたことがありますけれど・・・・真偽のほどがどうであれ、
王族つまり公人の墳墓は、一故人が安眠するお墓である以上に、
日本の上代の歴史を探る上での貴重な財産でもあり、
なかなかその姿が解明されない日本の上代古代を探る上で、
こうした墳墓の発掘調査は行われるべきではないかと。

そして、履中天皇というのも日本書紀では以下のように描写されている天皇で、
個人的に、かなり印象に残る天皇です。

こういう天皇は少なくないのですが、履中天皇も皇太子時代に、
弟の住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)という皇子を殺害して即位。
後継者争いだったのだろうと思いますが、殺害の理由が実に生々しく、
履中天皇が后にしたいと思っていた黒媛(くろひめ)という、
羽田八代宿禰(はたにやしろのすくね)の娘を、何と、弟が犯し、
そのことが知られるのを恐れて履中を殺そうとしたので、
もう一人の弟(つぎの反正はんぜい天皇)の支援を取り付けて
住吉仲皇子を殺害したとありますが・・・・
黒媛は、履中天皇の后になっているんですよね。

皆さま、眠れない夜は、日本書紀をお読みになられたら、
なかなか面白いかもしれませんよ。わたくしも枕のそばに置いております。

さて、話を戻しますね。
高良大社の境内からはいまでも筑紫平野を一望できました。
こうした立地は地政学的にも優れていた分、軍事的な要衝だったのでしょう。
馬ならともかく徒歩での往来を考えると、
商業的に栄える交通の要所というわけにはいかなかっただろうと、
高良大社への交通はいささか難儀に思われましたが、

タクシーの運転手さんのお話では、この地方の児童生徒は小学校のころから、
遠足や校外学習以外にも地域の行事への参加で、
高良山への登山と高良大社への参拝が年中行事だったとのことで、
地域の全住民の方にとって現代でも親しまれていることを知り、
ここが、古来から信仰の中心地であったことに改めて感じ入り、
いろいろの思いが駆け巡りました。

約1300個だという巨石で神域を囲んでいる高良い大社。
その石は、高良山神籠石(こうらさんこうごいし)と呼ばれ、
国史跡とも言われています。国史というのは「ふみひと」と読み、
履中天皇時代に初めて設けられ諸国に配置された書記官のこと。

書記官というからには、当時、中央と諸国が文書で!!
やりとりをしていたということですよね。
なのに、4世紀のことはいまだに分からないと言われているのは、
日本にその記録が一つも残っていないからで、
それらがすべて残っていないというのが不可解でならないです。

本当に残っていないとするなら、
すべて失われることになったほどの理由があるはずですが、
記録が全て失われたほどの理由が、
記紀には何も記載されていないのですから、謎は謎を呼び、
学者もファンも同じように想像力が勝手に羽ばたき、
日本上古代はミステリーの宝庫となっているわけで、
九州に旅行に出かける古代史ファンも尽きないのでしょうね。
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