スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

常盤御前(2)・・・・岩佐又兵衛による絵巻物に見る常盤の最期

ブログに3
(このとき、常盤御前は40代前半頃だろうと思います)

常盤御前に関する史実にははっきりしないものが多く、
墓所も複数あって伝説もまた多いのですけれど、
こうしたことは、小野小町同様に絶世の歴史的美女に共通しているようです。

平家滅亡後の常盤御前の行方に関してはさまざまな伝説があり、
奥州平泉に身を寄せた我が子義経を頼って行ったというものもあります。
まるで親子の対面があったかのような庶民の願望談ですが、
常盤御前にゆかりのある二つのお寺、光念寺と常徳寺を見てきたせいか、
常盤御前の末路を伝える話には何らかの史実があるのかもしれません。
その一つが、以下の日本画家の岩佐又兵衛が描いたもの。
絵巻物の中の「常盤御前の最期」の様子を、眺めてみますね。

以下の絵図は山中宿で侍女と一緒に宿を取り、
息子の身を案じて嘆き続ける常盤御前です。

山中宿

そんな彼女を旅を共にしてきた侍女が、慰めています。

ブログに1

そこを、女だけの旅と知った盗賊が襲います。

ブログ2

ブログ3

賊に襲われて息絶える常盤御前の悲劇の末路・・・
何というあでやかさ、そして、何というむごたらしい運命か。
岩佐又衛門の画量にも驚愕させられますが、
ここに描かれた常盤に話を戻せば、

ブログ5

ブログ6

夫と定め子供たちの父親でもある愛する殿方(源義朝)が討ち死にし、
何の保証もないまま三人の幼子を抱えて追われる身となり、
幼子の助命と引き換えに敵方の男(平清盛)に身を寄せ、
死ぬことも許されず生き続けるしかない身となった常盤。

思えば、いかに会いたくても、
いかに母親としてわが子の成長を見守りたくとも、
子供たちとは二度と会えない。そんな人生に耐え続ける道を選ぶということ。
他の男性の妻になれと言われれば、その通りにするしかないとなれば、
果たして若い女性に耐えられるものでしょうか。

幼くして手放した子は父親知らずで生まれ、
やがて母親から引き離され比叡山に幽閉同然となる。
この世に頼れる者など一人としておらず母を恋しく思ってもままならない。
そんな我が子を不憫と思っても、母として耐え続けるしかない。
愛した殿方の忘れ形見を守るための、これは最善の道だから。

時代は、そんな女性の切なる思いなどに関係なく動いて行きます。
当時は公家政治から武家政治への歴史的な大変革期。
やがて、世の中は再び大騒乱となり、
常盤にとって恃みともした男も死に、
世の中はひっくり返っていく。

牛若と名付けた我が子はやがてスーパーヒーロー義経となりますが、
ご存知の通り、やがて、逆賊として追い詰められていく。
そんなわが子の身を案じ、一目我が子に遭いたいと京を出て、
奥州に向かう旅先で無残にも殺されて息絶えた常盤。

こんな常盤の一生とはどういう一生だったのだろうと、
思わず手を合せずにはいられなくなります。

ブログ7

この最期の絵図を頭で思い浮かべる時、
武井咲という女の子が演じる常盤御前の行く末に胸が詰まりますね。
美人は得だと言われるけれども、常盤のような非業の最期を遂げる姿を見て、
それでも「美人は得」だと言えるかしら。

美人であるかどうかより、美人であろうがなかろうが、
自分で自分を守れない女性というものの悲劇がここにあります。
同時に、こうした女性にとってどこに救いがあったのかと。
常盤の生きた時代は、ますます仏教が盛況になり、
常盤も御仏の慈悲にすがっていったのでしょう。

帝(みかど)と公家の当時の政治というものが、
庶民に目を向けないものであり、
武士にとっては「新しい世」を求める野心で戦が絶えなかった時代、
常盤のような女性や多くの弱者は神仏を恃むしかなかった。

女性の人生は、まさに男性次第という時代と運命に翻弄された常盤。
常盤は再婚(選択の余地のない再婚)をしていますが、
女として新たな人生を生きろということだったとしても、
そんな割り切り方ができる女性であったとも思われない。
おそらくは子供らの助命嘆願の代償が「生きること」だったのでしょう。

しかも、おそらくは自死することも許されなかった。
常盤輪は、ここで初めて一人の母親として覚悟したのではないか。
強くならなければと覚悟したのではないでしょうか。

常盤にとってはまさに生き地獄同然だったとしても、
穏やかな夫との穏やかな生活に諦念を抱きつつ、
彼女の人生は平家の滅亡とともに閉ざされていきます。

わが子に会えぬままに中山宿で盗賊の手に掛かって息絶えたとする最期は、
あまりに哀れでなりません。これが事実ならいかに無念だったことか。
常盤が人生の最期に心に抱いた像は、何だったのでしょう。
成長しりっぱな武将となった息子との再会か。あるいは、
十数年前に討ち死にした夫義朝の生前の懐かしい姿だったのか。

わたくしには、常盤の心に立ち現れたのは、
幼いころに生き別れた時のままの牛若の顔をした
義経だったのではないかと思われて目頭が熱くなります。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

「美人薄命」VS「美人長寿」

拙ブログの隠されたテーマに対して、
追加のコメントをいただき有難うございます。恐縮しております。

閑話ノート様の「美人論」大変興味深く拝読、(笑)
殿方の美人論を伺えて大変参考になりました!
才色兼備の女性が”お好み”の美女でいらっしゃるとのこと。
多くの男性が閑話ノート様にような殿方であれば、
女性もうかうかしてはいられなくなりますね。いまどきの若い女性たちも
化粧品やブランド品にお金を使うよりも内面を磨くことに
もっと心が向くようになるかもしれません。そうであるなら、
閑話ノート様の御説は女性にとっても歓迎せねばならないところ、
でございますね。(=^^=)

閑話ノート様のおっしゃる通り、”好み”の美女となりましたなら、
ひとそれぞれということになろうと思われますが、一般に、美人というのは
100人いたら99人が「きれいな女性だなあ」「あれは美人だ」と思うような女性ではないかと。
なので、美人とされる女性の容貌色香もその属する社会集団や時代の価値観によって、
だいぶ変わってくるということになりましょうか。(変遷汗)
確か、耳長族と称される部族では、美人の最大の要件は耳たぶの長さとのことで、
耳たぶが長くてきれいに飾られていると男性をいたく魅了するとのことでした。

>「美人薄命」は事実でございましょうか?統計学的に証明されているのでしょうか?

寡聞にしてそうした統計のことは存じませんが、(笑)
美人薄命という言葉のルーツは、歴史的英雄に伴う美女の寿命ではないかと。
世界の三大美人、中国の三大美女などなど、著名な美女は
長寿とは無縁だったようでございます。その点、一般人においては、
「美人薄命」と「美人長寿」は五分五分といったところかなと。
当たるも八卦当たらぬの八卦・・・(汗)

けれど、薄命の身となった場合のわが身を「美人だから」と
慰めていただける言葉となることもあるようでございます。(まさか汗)

>美人というのは本当に得か。

常盤御前(1)の隠れたテーマについて、触れずじまいでしたので一言追伸です。

そもそも美人とは何かであります。顔立ち、いわゆるルックスの美しさなのか。それとも肉体美人と申しましょうか体つきの美しさなのでしょうか。その両方、容姿端麗を美人とするのか。人それぞれでありましょう。

私の美人の捉え方は、顔かたちの物理的な容貌というよりも、瑞々しさとか、艶々した体つきであり、上品で優雅な雰囲気を醸し出している女性。まぁ安直な表現になりますが才色兼備といえましょうか。(汗)

さてその美人サンが得かどうかでありますが、「得もあれば損もある」これが隠れたテーマの結論でございまする。(滝汗)

それよりも気になることがございます。「美人薄命」は事実でございましょうか?統計学的に証明されているのでしょうか?

価値観の異なる文化

閑話ノート様、こんばんわ!この時間にやっとパソコンに向かえました。

>なぜかそこには常盤御前のような悲哀は感じられない。過去を忘れるのか、
嬉々として新王に使える。ギリシヤ神話の世界とはいえ不思議です。

おっしゃる通り、ギリシャ文化における「悲劇」と日本人が考える「悲劇」とでは、
世界観がまるで異なりますね。大学時代、ギリシャ語の講義でご指導をいただいた教授に、
当時、新橋の演舞場で玉三郎が演じた「王女メディア」を見た折りの感想、
(「日本人では考えられないことですね」という話)を述べたところ、
教授(古代ギリシャの文化研究の第一人者でございます)が、
このように(以下のように)言われたように記憶しております。

・・・・古代ギリシャでは人間界の上に神々の世界があリ、その神々には
人間性のもろもろの性格が投影されていたけれども、総合的には人間の理想が
反映されていたのが神々の世界でした。地上の人間はそうした世界認識でいましたから、
倫理観も人生の価値観もそうした神々との対話で決められるようなところがあった。
地上での出来ごとも某かの神の計らいとして映った。だから、
地上の人間を襲う出来ごとがその人間にとって受け入れがたいものであればあるほど、
その嘆きは神に向かう。その結果、事態は悲劇性を増すものになった。」

この「王女メディア」というのは、ご承知の通り、王女メディアが
夫の不実と裏切りを知らされたとき、夫との間の王子たちを、
まだいたいけな子供たちを、火に投げ入れて殺してしまうというお話ですが、
その「悲劇性」についてのご指導でした。

美女が戦利品としての価値観を増すことは、洋の東西を問わないかのように思われますが、
なぜギリシャ世界では悲劇にならないかというと、当の美女自身が自分のそうした価値観を
受け入れていたからではないかと思われます。戦いに負けた夫にはすでに価値はなく、
戦いに勝利した相手にこそ自分を獲得する権利がある。
そのように考えていたのだろうと。(苦笑)
人間としての自然感情が認められてきた日本や、儒教を受け入れた東アジア世界では、
まったく受け入れがたい考え方かもしれませんね。

英雄がいまなお愛される西欧社会には、現代でもそうした価値観が、
脈々と流れているような気が致しますが、殿方にとっては、ある意味、
不倫したら子供を殺されかねず(冷や汗)、ヒーローにならなければ全てを失いかねない。
そうした価値観とも言えますし、受け入れがたいような気が致しますが、
どうなんでしょう。女性にとっては美女以外には無縁なお話となりますが・・・(苦笑汗)

美貌について

ホメロスのイリアスなどに出てくるのは、ある都市を占領した後、相手方王の妃を戦利品の一つとしてせしめるというのが一般的ですね。なぜかそこには常盤御前のような悲哀は感じられない。過去を忘れるのか、嬉々として新王に使える。ギリシヤ神話の世界とはいえ不思議です。

追伸/
一方、日本史も常盤御前もこの結びの一節がすべてでしょう。
>幼いころに生き別れた時のままの牛若の顔をした義経だったのではないか

ブロとも申請フォーム

★リンクフリー

検索フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

★RSSフィード

QRcode

QR
管理人

月光院璋子

Author:月光院璋子
自由の享受を幸せと実感する人間です。相手の自由を尊重できる方は幸い。自由のために戦える生は尊い。
自由=愛です。

【Thank You】
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
いま、雪が降る
★お知らせ★
最新記事
Bookmark
月と遊ぶ
最近のコメント
★お花が好き♪
月別アーカイブ
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

ブログ内検索
新しい家族(=^^=)
いつでも里親募集中
★月光の下で
カテゴリー
★閲覧のBGMに・・・
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。