スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

クリスマスに「メサイア」を聴く

CA3J2071.jpg

昨夕、出かける前にアップしたかった「メサイア」のコンサート、
京都のお友達からのお招きで行って参りました。
昨年に続き二度目のご招待。昨年は当日京都に戻れず、
娘一人で出かけ、「気持ちが良くなって眠ってしまった!!(汗)」
と電話で語っていたコンサート、今年も同様のようで、いつの間にか、
隣ですやすやと眠っておりましたが、さすがに、
あの「ハーレルヤ♪ハーレルヤ♪」の大合唱になったときには、
目覚めて立ち上がろうとしておりました。

さて、クリスマスシーズンのコンサートでは、
定番のようになっているヘンデルの「メサイア」ですが、
正直なところ、いつも心のどこかで違和感を抱いてしまうわたくし。

救い主キリストの預言と降臨、その受難と人間の贖罪、
そしてキリストの復活と永遠の命を歌い上げる「メサイア」、
この楽曲を音楽として楽しむ、西洋の宗教音楽として楽しむとしても、
やはりオラトリアであることにこだわるのは、
聴き手としてはとても誠実な態度であると思うわたくし。

けれど、というか、だからこそ、というべきか、
いかにこの「メサイア」が旋律の美しさで胸を打とうとも、
いかに愛と平和を祈念するハートに訴えかけるものであろうと、
このオラトリオは、キリスト教徒の集まる場で、
キリスト教の命題を「語る」楽曲であるという本質は変わらない。
それを、キリスト教徒でもない人たちが歌うということに、
どうしても違和感というか何かが違うと感じてしまうわたくしの「耳」

聴く側は、いいんです。クリスチャンである必要は無い。
そして、歌う側もキリスト教徒でなければ駄目だとも思わない。
現に、日本人の音楽家には、西欧音楽に向き合う時、
宗教と切り離して音楽そのものと向き合っていると語る人たちもおられる。
だから、キリスト教の精神やその歴史や文化はともかく、
キリスト教を信仰する人たちの心のありように思いをいたすこともなく、
聖書も読んだことがないと口にする人たちが「オラトリオ」を歌うとしたら、
それって、オラトリオといえるのかしらと。
オラトリオとしての「メサイア」という楽曲・・・

これををキリスト教や聖書を知らなくても歌えると、
楽譜に表された「音」で理解できるものがあると言うとき、
たしかに、そうかもしれない。
そういうことも言えるだろうとは思うと、
わたくしは言うかもしれない。
けれど、

楽譜に表された「音」が、
言葉の音形化としての「音」であることを思う時、
音に表された「言葉」の意味もやはり大事なはず。

だから、言葉の意味など知らなくてもいいとする気持ちや考えが、
もし、歌い手の側にあったとしたら、少なくとも、
信仰の「敬虔さ」というものは伝わりようがない、のではないかと、
わたくしの「耳」は、コンサートの帰途、このブログのように、
独り言をつぶやいてしまいました。

昨夜は、寒いクリスマスイヴでしたね。
今日も今年一番の冷え込みだそうです。
皆さま、お風邪など召しませんように。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 音楽
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

ブロとも申請フォーム

★リンクフリー

検索フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

★RSSフィード

QRcode

QR
管理人

月光院璋子

Author:月光院璋子
自由の享受を幸せと実感する人間です。相手の自由を尊重できる方は幸い。自由のために戦える生は尊い。
自由=愛です。

【Thank You】
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
いま、雪が降る
★お知らせ★
最新記事
Bookmark
月と遊ぶ
最近のコメント
★お花が好き♪
月別アーカイブ
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

ブログ内検索
新しい家族(=^^=)
いつでも里親募集中
★月光の下で
カテゴリー
★閲覧のBGMに・・・
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。