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訃報 大島渚監督逝く

大島渚

年末の勘九郎(十八代目 中村 勘三郎のこと)の訃報の衝撃は、
とても寂しさを感じさせるものでしたけれど、
大島監督の訃報は、映画におけるある時代が、
これで終わったと感じさせるものでした。

TVでも新聞でもネットでも、
多くの方が映画についてお書きにかっていらっしゃるので、
ここでは、違った視点でのものを書き、
ご冥福をお祈りしたいと思います。

まだお元気でいらしたころに、
大島渚監督が黒沢明監督にインタビューしたもの、
(Akira Kurosawa interviewed by Nagisa OshimaでYoutubeでご覧になれます)
  
昔このインタビューを見る機会があって、
とても興味深く拝見したことが思い出されました。
今日は、一日そのインタビューをネットで見て過ごしました。

黒沢監督の話がとても印象的で、

外国の監督や映画関係者からの質問、
 日本では、どうして同時期にあんなに凄い(質の高い)作品が、
 たくさん作られたのか。
こうした質問をよく受けるんだが、と、
それに対しての回答をインタビューで、
大島渚監督に次のように語っていた。

どこからの干渉も受けず作りたい映画を作っていた時代なんだよ、
映画会社も、監督に作りたいように作らせていた。
だから、良い映画が沢山できた。
金も出すが口も出すという「プロデューサー映画」では、
溝口、小津映画は出来ないよ。

そんな回答内容で、

映画監督になりたいと言うのが来るんだが、
本当に映画を作りたいなら脚本を書きなさい、
そう言ってやるんだけど、{監督志望て言っているやつなのに)
書かないんだよ。本(脚本)を書くのは大変なことだ。
だから、途中で投げ出すんだ。
一度投げ出すと、二度と書けないんだよ。
投げ出すクセがそこでついてしまうからね。
本を書くという地道な忍耐のいる作業ができなきゃ、
監督なんてやれないんだよ。

(監督になりたいと言ってくる奴は)本も読まないんだなあ。
創造は記憶であると僕はいつも言ってる。まず、読めと。
読むなら、やはり古典がいい。古典を読むべきだね。


こうしたとても印象的だった話を、
黒沢監督から次から次と引き出していた大島渚監督は、
背広姿で終始姿勢を崩さずに良き聞き手で、
この人物の生来の真面目さというものが感じられ、
個人的には、映画作品よりも好印象でした。
1990年代前半のころだのインタビューです。
お時間がおありの方は、ぜひ、
Youtubeで検索してご覧になってみてください。

こちらの写真、
日本人の監督で世界から評価が高かった監督のお一人として、
映画が好きな日本人なら記憶にとどめておきたい写真ですね。

kao4.jpg

大島渚監督の作品は、おそらくほとんど見ていると思いますが、
監督が向き合ってこられた時代とわたくしの生きてきた時代,
そこでのズレゆえでしょうか、必ずしも、
心に残るものばかりではありませんでしたし、
思想性においても賛同しかねるものもありましたけれど、

その人間性というものには驚嘆する思いや共感、
親愛に近い好意をも抱き続けていたように思います。
不思議な魅力を放つ監督でした。

大島渚2

多くの才人たちに愛された監督の、
ご冥福をお祈りしたいと思います。


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