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あれから2年(2)・・・・移転の強制選択の現状

2011.3.22 ISHINOMAKI
(写真は2枚とも、ウォールストリートジャーナル誌から)

宮城県警の広報車がやってきて、
指定されていた避難所に避難するように指示されてから、
近くの小学校の体育館に出向いたのは夜8時過ぎでした。

震災当日のことを普段は思い出すこともなく過ごしていますが・・・
夜空を見上げたとき、震災発生日の夜のことを思い出します。
避難所への移動中に雪が降り始め、
夜空を見上げた娘たちが、
 
  ああ、星がすっごくきれい・・・
  仙台でこんなにきれいな星を見たのは初めて・・・

そう言ったのです。
見れば、体育館に向かって歩いていた人たちの多くも、
夜空に輝く星を仰ぎ見ていたように思います。


体育館での5日間、
あの寒さは尋常ではありませんでした。
入口のドアが開けっぱなしの状態の体育館に、
アラジンの大型ストーブが一台きり。
支給された毛布も一人一枚でしたが、
それもやがて二人で一枚になるほど避難者が次から次と増え続け、
体育館は許容人員の3倍の被災者でいっぱいになり、
噂を聞いてきたという観光客や留学中の外国人学生たちも集まってきて、
翌日から次々と小学校の各教室も開放せざるを得ない有様で、
お隣に運ばれてきたご年配のご婦人は、
その寒さのために亡くなりました。

最初の夜のトイレの酷さは、思い出すだけでも具合が悪くなります。
水が出ないために信じられない状態になっていきました。
想像を絶する惨さ・・・それが、翌日には嘘のように改善されました。
いつかこのときの対応のイロハについて後学のために書こうと思いつつ、
ずっと失念して参りました。

食事のことも不足は当たり前となりました。
自衛隊から配給された食べ物は、おにぎりとお菓子とケーキで、
避難者の人数はそれをはるかにこえるものでしたから、
数時間並んで支給されるおにぎりは一人一個で、
それも全員には行きわたらずに終わりとなりました。

早速、PTAで用意していた保存食などを全て開放しましたが、
早朝6時から並んでも足らないほどで9時過ぎにはなくなりました。

それでも、翌夕から食事が足りるようになったのは、
小学校の近くにある料理屋経営者の方たちやボランティアによって、
ガスボンベや石油ストーブで料理を提供する人たちが現れたためです。
わたくしも微力ながらご近所の方たちにお味噌汁を大鍋で作り、
珈琲も淹れられるだけ淹れて配りました。
そうしたものを皆さんで分け合ったことで、
避難所の状況は数日後には随分改善されていったように思います。

それぞれが勝手なことを始め、
酷い状況になった時期もありました。
言葉が通じないのか、勝手な行動で顰蹙(ひんしゅく)を買ったのは、
外国人留学生たちでした。そのこともいつか書きます。

冒頭の写真は、
2011年3月22日に撮影された石巻市の湾岸部。
それが、今年の3月1日には、以下のようになっています。

2013,3,1 石巻

向こうに小山が見えますよね。その山の向こうは海ですが、
この山のお陰で津波の流れが変わって助かったのが、
山の麓のこちら側の一角です。
家は泥水で浸水しましたが、流されずに済んだために、
多くの住民の方は家の泥かきをし泥水を排出し、
避難所から戻り、ライフラインが断絶した中で、自宅で避難生活を続け、
ボランティアで届けてもらえた食料や生活物資を分け合って暮らし、
1年目にして市役所と相談の結果、家を修繕することにし、
貯金、見舞金、補助金を全部使って土地をかさ上げして家を改築。

けれど、家の中は最低限必要な食器とテーブルだけで、
家具や物はほとんどありません。でも、
仕事がある分恵まれていると言って頑張ってきた友達がいます。
そこの地域には食堂も出来地域の中心のようになっていました。
わたくしが行ったとき、そこのレストランは地域の希望のようでした。
それが、昨年の夏、その一角の住民全部が立ち退きを宣告されました。

震災後1年も経ってから、国土交通省がプランを出してきたのですが、
その一角にも高い堤防が護岸工事として行われることになり、
問答無用の立ち退きは、住民にとって寝耳に水です。

移転先も国が買い上げた土地で、二か所。
一方の土地は、満潮のたびに道路が浸水する町にあり、
もう一方の土地は地主が売らないために数が限定され抽選。
それでも、いずれかの土地に移転する道を選ばない限り、
住居の買い上げは二足三文とのことで、それ以外の土地に移転する場合は
すべて自前の支出になるそうです。
話し合いという名の国土交通省お達し宣告の会合は難航し、
市は金融機関を紹介するだけだそうで、
住民の多くは今後の目処が立たないでいます。

友人は言います。

金利の安いところをいくつか紹介されたけれど、
いまさらどこからお金を借りればいいというのか。
お見舞い金も貯金も全部使って家を修繕して生活を自力でスタートさせたのに、
だったら、最初から、そう言ってほしかった。
いまさら、そんなことを言われても、
ここに土地を買って家を建てるから移れと言われても、
そこからは仕事に通えない。そんな復興がある?
家もなくなり仕事も亡くなって若くもない。子供もいない。
そんな私たちにいまからどうしろというのよ。
集められるお金はすべて集めて家を建て直した人もいるのに、
いまさら、その人たちにどこに行けというのか。

彼女は、津波から助かった高齢のお母様がおられるご近所の実家も、
一年かけてご近所や知人たちの力を借りて修繕しました。
その一角に住んでおられる方たちはほとんどそうだと言います。
けれど、このままでは友人とお母様の移転先は別々になります。
15年前、お母様の介護のために郷里に戻り、
仕事を変え、ローンで家を建てたというのに。

自力でここまで頑張ってきた人たちに対して、国はこのまま、
自分たちの無能のツケを払わせるつもりなのか。
もっと丁寧な対応を考えなければ、
彼女のように、郷里に長年貢献してきた自立的な住民は、
いずれ自治体を捨てざるを得なくなるでしょう。
そうなる前に、住民の声に耳を傾けて、
可能な限りの対応策を再考してもらいたい。

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ジャンル : 政治・経済

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