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新緑の京都大原・・・「鉈捨藪跡」(なたすてやぶ・あと)

P5034224.jpg


三千院を出て右側にすぐのところにあるこの赤い橋、
下を流れる川は、律川といいます。

この橋の前にあるこの名板、気付かないで通り過ぎてしまいそうになりますが、
「鉈捨藪跡」(なたすてやぶあと)と書かれています。


P5034225.jpg


そう、ここが、かの法然上人が勝林院での「大原談義」に出向くときに、
法然上人の伴をしていた男に鉈を捨てさせたところなんですね。

男は、熊谷蓮生坊といって上人を守るために(いざという時のために)
鉈を隠し持っていたわけです。その持っていた鉈を捨てさせた。

このとき、法然は、天台座主の大僧正からの要請で、
勝林院に出向くまさにその直前でした。

勝林院はこの後でご紹介させていただきますが、
写真の赤い橋を渡って2分くらい。すぐのところにあります。

ところで、

熊谷蓮生という名を聞いて思い起こされた方もおられると思いますが、
そう、このお坊さんは、あの熊谷直実の出家後の法名です。


P5034226.jpg


わたくしは、浄土宗の教義のこと、
天台宗同様によく分かりませんけれど、
この「大原問答」の場面を想像するたび、
思い起こされる場面があります。

三国志の赤壁の戦いの前段で、
諸葛公明が単身、呉の国に出向いたときに、
魏の曹操が迫りくる中で交戦か和平かと喧々諤々の呉の宮廷で、
同盟を結んだ方が安心だと思う呉の文官たちの居並ぶ中で、
孔明一人、彼らと問答をする(させられる)場面です。

その問答の場面が思い起こされるのですよね。

つまり、命がけの場面・・・
(もっとも、孔明は論破する自信があったのでしょうけれど)


話を戻すと、当時、天台座主の僧正ともなればまさに仏教界のドン。
そのような僧正が、他のお偉いお仲間をいっぱい集めて、
仏法について法然相手に「談義」しようというのですから、
誤解を恐れずわかりやすく言えば、
仏教界の大御所たちが集まって、
法然を取り囲んでいじめるような場面。


しかも、その問答に窮したりしたら、
法然が求めて布教しようとした浄土宗は、
そこで敗退する(敗退させられる)わけです。

仏教者たちが命がけで宗派を起こした時代・・・・

鉈捨藪という言葉は、この大原にあって、
いまでは死語と化そうとしている「命がけ」というものを、
思い起こさせてくれる言葉でした。

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