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御霊神社(上御霊神社)(7)・・・・花御所八幡宮跡と末社・八幡宮

P3120847.jpg

大鳥居前にある花御所八幡宮跡(←クリック)の史跡です。
あの「花の御所」がこの一帯にあったのですね。
委細はリンク先をお読みいただくとして、

境内にあった八幡宮は、

P3120906.jpg

かの「花の御所」の鎮守として
源氏の氏神としての八幡神が勧請されたということで、
ここで、タイムスリップしたような感覚になりました。
ああ、そうだったと。

花の御所といえば、応仁の乱、その時代は、足利幕府の頃ですから、
上代の八幡神(ヤハタ)や宇佐神宮の八幡神の応神天皇とは性格が違う神様。

つまり、応神天皇(誉田別命)を主神として、
ここの神社ブログ記事でよく出てくる比売神(宗像三女神)と、
神功皇后を合わせた八幡(ヤハタ)三神、あるいは、

玉依姫命や仲哀天皇と一緒に祀られていたりする謎の
古代神八幡(ヤハタ)神ではなく、

足利幕府の頃の八幡(はちまん)神です。

★ご参考までに。
  ↓
北九州の豪族国造(←はたしてそうなのか懐疑的なわたくし)の
宇佐氏の氏神だったとされる八幡神は、後に、大和朝廷の守護神とされます。
歴史的にもご託宣をよくする神としても知られますが、
大和朝廷以前からの存在ゆえ、
古代史を探る上で必須の存在でもあり、
秦氏との関係も指摘され、
古代史においては興味の尽きない神なのです。
稲作のために治水の神としての、
そして農耕豊作の神としての上代のイメージもあり、
渡来系(カラ国から来た)の神とも。

P3120907.jpg

というこで、
ここの御霊神社に勧請されている八幡神は、それとは違う神です。
繰り返すと、奈良時代から平安時代にかけて、
応神天皇と習合した八幡神でもなく、
武士の源氏の守護神としての中世の、
まさに武士の守護神である八幡神。

同じ神社の中に、
時代の変遷の跡がこのように刻まれているということを、
改めて感じた次第でした。
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