土佐旅行・・・・土佐電鉄「ごめん駅」
【日記】・・・・原爆症の認定訴訟の地裁判決に対し、
安倍総理が控訴しない決断をされたことは評価したいと思います。

今回の土佐旅行は、
高知県香南市で開催される絵金祭りが目的でしたので、
後は「ついで」や「この機会に」というものとなりましたけれど、
それでも、物珍しさで立ち止まることが多かったです。
その一つが、「ごめん」という駅で、
JRと呼ばれるだけの「土讃線」の「ごめん」駅と、
くろしお鉄道と呼ばれる「土佐電鉄」の「ごめんまち」駅があり、
いずれも、漢字で「御免」と書きます。
香南市と高知市に隣接する南国市にある町で、
くろしお鉄道の始発(終点)駅でもあり、
高知市内に向かう土佐電の始発駅でもありました。

発車の時刻まで、駅の構内にあった観光案内のチラシを手に取り、
掲示板を眺めてみることに。

高知では、あらゆるところに、龍馬の顔が印刷された幟があり、
この「ごめん」駅にもありました。
もう、県知事さんを筆頭に、
全県挙げて「リョウマ」を掲げての観光案内。
ローマの休日にあやかっての「リョーマの休日」ということらしく、
あちらこちらに幟が見られ唸らされてしまいました。
ここまでやるか!?、そうか、ここまでやるのか!と。
ところで、「ごめん=御免」という地名、やはり、気になります。
謂れは何かしらと。
実は、ここにも、野中兼山が出てきます。
野中兼山については、前ブログをご参照ください。
御免という町名は、野中兼山が物部川を改修したとき、
舟入川を交通手段とする商業地域をつくり、
そこに入植した者に土地を与えようとしたとき、
誰も住もうとしなかった。そこで、兼山は、
新しい町をつくるにあたって、
租税や諸役を免除することにしたところ、
多くの転入者があり、新しい町ができた。
つまり、諸役が「御免」となって発展した町ということで、
「御免町」と呼ばれるようになったことに由来するそうです。

住民がおらず未開発の土地、産業がない土地に、
新たな産業を興し新しい町を作ろうというときには、
人が住み暮らし産業が軌道に乗るようになるまでは、
税金などというものは課してはいけないという教訓ですね。
そんなことを思いながら眺めていたら、
こちらが目に入りました。

東南海大地震の発生が喚起されているいま、
太平洋に面して横長に広がっている高知県では、
大きな被害想定が出ています。
山岳部以外は、津波の被害に遭うことが想定されていますが、
御免駅から北に25キロというのは、標高何メートルなのでしょう。
また、そこまでの避難移動手段は主に何なのでしょう。
東日本大震災では、緊急避難先として指定されていた多くの小中学校の、
体育館は津波で破壊され、そこに避難した多くの住民は亡くなりました。
そうした教訓は、東南海大地震の被害想定地の自治体の防災に、
どのように生かされているのでしょう。
タクシーの運転士さんにそのお話をさせていただいたら、
運転士さんの遠方におられるご子息も心配されて、
土佐に里帰りされた折り、費用をかけてご実家を改築されたとのこと。
なのに、その運転士さん、
「息子はなんやかんや心配して電話よこしよるが、
地震がくるゆうても、何をしておればいいのかなんて分からんし、
そうなってみなければ、わからんがね」
と言って笑っておられました。けれど、
阪神淡路大震災の後も、東大震災の後にも、
たくさんの援助物資を東北に送ってくださったそうです。
かくして、土佐電鉄では、
以下のようなサーヴィスが行われていました。

土佐電鉄さんには、高知自動車道のさらに内陸の丘陵地帯に、
将来を見据えて線路を引いておくというお考えはないものなのか、
間に合うかどうか不明なれど、聞いてみたい思いに駆られつつ、
この電車で、高知市内に向かった次第です。

次のブログで、土佐電鉄で高知市内に入った折りの様子を、
ご紹介させていただきますね。
安倍総理が控訴しない決断をされたことは評価したいと思います。

今回の土佐旅行は、
高知県香南市で開催される絵金祭りが目的でしたので、
後は「ついで」や「この機会に」というものとなりましたけれど、
それでも、物珍しさで立ち止まることが多かったです。
その一つが、「ごめん」という駅で、
JRと呼ばれるだけの「土讃線」の「ごめん」駅と、
くろしお鉄道と呼ばれる「土佐電鉄」の「ごめんまち」駅があり、
いずれも、漢字で「御免」と書きます。
香南市と高知市に隣接する南国市にある町で、
くろしお鉄道の始発(終点)駅でもあり、
高知市内に向かう土佐電の始発駅でもありました。

発車の時刻まで、駅の構内にあった観光案内のチラシを手に取り、
掲示板を眺めてみることに。

高知では、あらゆるところに、龍馬の顔が印刷された幟があり、
この「ごめん」駅にもありました。
もう、県知事さんを筆頭に、
全県挙げて「リョウマ」を掲げての観光案内。
ローマの休日にあやかっての「リョーマの休日」ということらしく、
あちらこちらに幟が見られ唸らされてしまいました。
ここまでやるか!?、そうか、ここまでやるのか!と。
ところで、「ごめん=御免」という地名、やはり、気になります。
謂れは何かしらと。
実は、ここにも、野中兼山が出てきます。
野中兼山については、前ブログをご参照ください。
御免という町名は、野中兼山が物部川を改修したとき、
舟入川を交通手段とする商業地域をつくり、
そこに入植した者に土地を与えようとしたとき、
誰も住もうとしなかった。そこで、兼山は、
新しい町をつくるにあたって、
租税や諸役を免除することにしたところ、
多くの転入者があり、新しい町ができた。
つまり、諸役が「御免」となって発展した町ということで、
「御免町」と呼ばれるようになったことに由来するそうです。

住民がおらず未開発の土地、産業がない土地に、
新たな産業を興し新しい町を作ろうというときには、
人が住み暮らし産業が軌道に乗るようになるまでは、
税金などというものは課してはいけないという教訓ですね。
そんなことを思いながら眺めていたら、
こちらが目に入りました。

東南海大地震の発生が喚起されているいま、
太平洋に面して横長に広がっている高知県では、
大きな被害想定が出ています。
山岳部以外は、津波の被害に遭うことが想定されていますが、
御免駅から北に25キロというのは、標高何メートルなのでしょう。
また、そこまでの避難移動手段は主に何なのでしょう。
東日本大震災では、緊急避難先として指定されていた多くの小中学校の、
体育館は津波で破壊され、そこに避難した多くの住民は亡くなりました。
そうした教訓は、東南海大地震の被害想定地の自治体の防災に、
どのように生かされているのでしょう。
タクシーの運転士さんにそのお話をさせていただいたら、
運転士さんの遠方におられるご子息も心配されて、
土佐に里帰りされた折り、費用をかけてご実家を改築されたとのこと。
なのに、その運転士さん、
「息子はなんやかんや心配して電話よこしよるが、
地震がくるゆうても、何をしておればいいのかなんて分からんし、
そうなってみなければ、わからんがね」
と言って笑っておられました。けれど、
阪神淡路大震災の後も、東大震災の後にも、
たくさんの援助物資を東北に送ってくださったそうです。
かくして、土佐電鉄では、
以下のようなサーヴィスが行われていました。

土佐電鉄さんには、高知自動車道のさらに内陸の丘陵地帯に、
将来を見据えて線路を引いておくというお考えはないものなのか、
間に合うかどうか不明なれど、聞いてみたい思いに駆られつつ、
この電車で、高知市内に向かった次第です。

次のブログで、土佐電鉄で高知市内に入った折りの様子を、
ご紹介させていただきますね。
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Re: 有能じゃないですがw
> ビジネスにゆとりがないのですね。飛行機の便の都合でとんぼ返りというか、次の出張先へ向かわなくちゃならない。そんなところでしょうか。
いえいえ、お仕事で行かれた先で観光三昧というのは無理があります。
わたくしの周囲もわたくしも、海外でさえ観光など出来かねました。
残念ではありましたけれど、仕方ないと思ったものでした。
> さて土佐旅行シリーズ大変お疲れさまでした。とてもためになりました。有難うございました。(^.^)
こちらこそ、たくさんのコメントを頂戴して恐縮しております。
何よりご一読いただけたことに感謝の思いでいっぱいです。
閑話ノート様、有難うございました。
いえいえ、お仕事で行かれた先で観光三昧というのは無理があります。
わたくしの周囲もわたくしも、海外でさえ観光など出来かねました。
残念ではありましたけれど、仕方ないと思ったものでした。
> さて土佐旅行シリーズ大変お疲れさまでした。とてもためになりました。有難うございました。(^.^)
こちらこそ、たくさんのコメントを頂戴して恐縮しております。
何よりご一読いただけたことに感謝の思いでいっぱいです。
閑話ノート様、有難うございました。
有能じゃないですがw
ビジネスにゆとりがないのですね。飛行機の便の都合でとんぼ返りというか、次の出張先へ向かわなくちゃならない。そんなところでしょうか。
さて土佐旅行シリーズ大変お疲れさまでした。とてもためになりました。有難うございました。(^.^)
さて土佐旅行シリーズ大変お疲れさまでした。とてもためになりました。有難うございました。(^.^)
Re: 土佐電
そうでしたか。閑話ノート様は、土佐電に関してそうしたお仕事上の思い出をお持ちでいらっしゃるのですね。お仕事で、となりますと、なかなか観光時間は作れませんよね。日本の議員諸氏の視察旅行のような、そんな暇など日本の有能なビジネスマンにはございませんもの。
それにしても、土佐までの足は、いかに高速道路や橋が整備されても、
やはり伊丹からの飛行機が便利なことに変わりはないかもしれません。
車だと、京都から高知まで片道5時間~6時間はかかるとか。
> いずれにしろ、幕末・維新の「薩長土肥」はゆっくり見学したい地方であり、歴史探訪の街ですね。(^.^)
そう思います。今回の土佐旅行は「絵金祭り」の襖絵が目的でしたのに、
すっかり土佐の歴史と文化に魅了されてしまいました。
土佐旅行シリーズとしてブログに記事をアップしているうちに、
歴史探訪ブログになってしまいそうだったほど。
番外編を残してはおりますが、シリーズを終えて安堵しております。
もう一度、今度は土佐歴史探訪の旅を決行し、
その後は、長州と薩摩ですね。(笑)
それにしても、土佐までの足は、いかに高速道路や橋が整備されても、
やはり伊丹からの飛行機が便利なことに変わりはないかもしれません。
車だと、京都から高知まで片道5時間~6時間はかかるとか。
> いずれにしろ、幕末・維新の「薩長土肥」はゆっくり見学したい地方であり、歴史探訪の街ですね。(^.^)
そう思います。今回の土佐旅行は「絵金祭り」の襖絵が目的でしたのに、
すっかり土佐の歴史と文化に魅了されてしまいました。
土佐旅行シリーズとしてブログに記事をアップしているうちに、
歴史探訪ブログになってしまいそうだったほど。
番外編を残してはおりますが、シリーズを終えて安堵しております。
もう一度、今度は土佐歴史探訪の旅を決行し、
その後は、長州と薩摩ですね。(笑)
土佐電
南国土佐へは1990年代末ころ、何度か仕事の出張で来ました。南国市に当時「はらたいらと世界のオルゴールの館」がごめん町駅構内にあって、このミュージアムのスポンサーだった土佐電鉄と取り引きしていたのです。私が勤務する会社の四国の営業エリアは大阪営業所の管轄で東京本社に居た私が大阪へ飛び、大阪の所長を連れて土佐電を表敬したのです。関西から高知へは陸路も鉄路も何かと交通の便が悪く、いつも空路で伊丹ー高知を往復していました。ビジネスのみで一度も観光見物できず仕舞いでした。(笑)
いずれにしろ、幕末・維新の「薩長土肥」はゆっくり見学したい地方であり、歴史探訪の街ですね。(^.^)
いずれにしろ、幕末・維新の「薩長土肥」はゆっくり見学したい地方であり、歴史探訪の街ですね。(^.^)
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