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土佐旅行・・・・板垣退助の銅像

とうとう、高知県の四万十川のある西土佐の最高気温が、
日本一の記録を更新しました。40度を超える気温ながら、
それは地上から一メートル離れた風通しのよい百葉箱の中でのこと。
酷暑は、そんな百葉箱の外にあるんですよね。

ということで、土佐旅行シリーズ。



P7217416.jpg


前方の石垣が組まれたところの上に、
明治の自由民権運動の代表的人物、板垣退助の銅像は立っておりました。

板垣退助というと、こちらの肖像の方が有名ですけれど、

板垣退助1

若いころの写真もあります。

板垣退助2


樹木が生い茂っていたため、こんな感じの写真になってしまいましたが、


P7217418.jpg

土佐に来て、こうした「偉人」の銅像に対しフラッシュで撮るのが、
何故だか憚られてしまい、顔の表情がはっきりしなくてすみません。

周囲を眺めまわして、あの有名なセリフを刻んだ石碑を探すまでもなく、
こちらは、すぐに目に入りました。
   ↓
P7217419.jpg

有名な言葉ですね・・・・

明治の志士が政治家になったわけですが、この言葉には、
パフォーマンスではない政治家の覚悟、心意気というものが感じられます。
いまの日本の小中高学校の歴史の教科書にも、
伊藤博文を暗殺した隣国の英雄像と同じに必ず記載されていますので、
多くの日本人にはおなじみの言葉かもしれません。
この有名な言葉を残して板垣退助は死んだのだと。

リンク先をお読みいただけばお分かりになりますが、


P7217421.jpg

彼は、暗殺されかかリ負傷しましたが、その事件で亡くなったわけではなく、
82歳(数え年で83歳)という高齢で天寿を全うしています。
いわば、「岐阜事件」は暗殺未遂で終わりました。

その点で伊藤博文とごっちゃにされているような気がしますが、
あの時代に、暗殺もされずに天寿を全うできたということ自体、
凄い強運の持ち主だったのでしょう。


こちらの石碑は残念ながら読めませんでした。

P7217420.jpg

実は、今回の土佐旅行で初めて知ったのですが、
板垣退助は、生前、坂本龍馬と一度も会っていないということ、
この意外性には驚きました。伊藤博文とごっちゃになっていたようです。

以下は、ご参考までに。

P7217422.jpg


P7217423.jpg


P7217424.jpg

高知城前の公園で見かけた猫。
  ↓
P7217417.jpg

こういう猫を地域猫と言えばいいのか、城の守護猫と言えばいいのか。
いずれにしても、実に、わが家の庭といわんばかりに、
公園内でより涼める場所に移動しているかのようでした。
猫だって、今年の猛暑はたまらないことでしょう。
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テーマ : 高知(土佐)
ジャンル : 地域情報

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Re: 大久保利通

> なるほど。まったく同感でございます。

閑話ノート様にご同感いただき嬉しい限りです。
そして、こちらのコメントも嬉しい驚きでした。

> ところで私は明治新政府の大政治家で維新三傑のひとり、大久保利通のファンでありまする。

わたくしも大久保利通のファンです!!
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」も
海音寺潮五郎の「西郷と大久保」も未読ではございますけれど、
幕末明治の人物伝に関する資料ものは、以前必要があって、
かなり読みました。そのとき、大久保利通の考え方や性格、生きざまに、
思わず、目がしらが熱くなったものでした。


No title

>わたくしは勝海舟も福沢諭吉も好きになれません。
龍馬は勝先生を慕っていたようですけれど。
だいたい、あの時代、長生きできたということ自体、
命がけで仕事をしていなかったという証左です。(爆汗)
なるほど。まったく同感でございます。

ところで私は明治新政府の大政治家で維新三傑のひとり、大久保利通のファンでありまする。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」と海音寺潮五郎の「西郷と大久保」の影響かと思われますw

Re: 乾退助

> 日本人にとって板垣退助はなぜか人気者なんですね。

戦後、学校で習った歴史教育の成果かもしれませんね。
なにせ民主主義万能社会の到来で、そこで歴史を遡って、
日本にだって、明治には自由民権運動の板垣がいたんだぞと。(苦笑)
暴漢に襲われた時の名文句が、それに華を添えているのでしょう。

> 幕末~維新だけを抜き出せば、維新三傑には遠く及ばず、維新十傑にも入らない。

同感しきりなれど、あの三傑とお比べになられたら、
三傑の命名者も泣きましょう。


> なぜか軽い感じがして私は好きになれません。(笑)

同感しきり。加えて、
わたくしは勝海舟も福沢諭吉も好きになれません。
龍馬は勝先生を慕っていたようですけれど。
だいたい、あの時代、長生きできたということ自体、
命がけで仕事をしていなかったという証左です。(爆汗)

乾退助

日本人にとって板垣退助はなぜか人気者なんですね。自由民権運動と暴漢に襲われた時の名文句でしょうか?
幕末~維新だけを抜き出せば、維新三傑には遠く及ばず、維新十傑にも入らない。明治政府の重鎮だったことは分かるんですが…。なぜか軽い感じがして私は好きになれません。(笑)

Re: 質問です。

柚木さん、お久しぶりでした!
久々のコメント、とても嬉しく思いました。

それにしても、難しいご質問をいただいてしまいました。
わたくしも板垣退助が「武士道」という著作を著していたらしいことを、
今回の土佐旅行で初めて知ったので、その著作は未読です。
そこで、調べてみましたところ、
以下がヒットいたしました。
   ↓
『板垣退助先生武士道観』、板垣退助著、高知 板垣會、1942年。

板垣の書いた本のタイトルも果たして「武士道」なのかどうか、
その辺も未確認で良く分かりませんでした。
図書館でお調べいただくのが一番かなと・・・・

新渡戸稲造の「武士道」がイメージされますよね。
新渡戸の本は読んでいますけれど、板垣の著作を読んでいないので、
内容の違いを語ることはできかねますが、

両者の違いを他の点で敢えて申せば、
板垣の本は日本語で書かれ、
新渡戸の著作は英語で書かれたと言う点を挙げられると思います。

新渡戸が日本のことを世界の先進国に知ってもらうべく、
英語で書いた本であるということ、ご存知でしたか?
この本は、日本人が書いた本で欧米でベストセラーになった記念すべき
最初で最後の本なのではないかと記憶します。
   ↓
「Bushido: the soul of Japan, an exposition of Japanese thought」

この著書が欧米で評判になったことで、国際連盟設の際、
新渡戸は事務次長に選ばれて国際的に活躍することになりますけれど、
日本のために尽力し力尽きて亡くなりました・・・
板垣が活躍したのは明治ですが、新渡戸が活躍したのはその晩年、
戦前の昭和においてだろうと思います。
新渡戸が死去したのは、日本が国際連盟から脱退した年でした。

なので、今日でも「あの戦争」と呼ばれて了解される大東亜戦争のこと、
その戦争へと至る道程半ばまで新渡戸は生きていた人物だと思えば、
そんな昔の人ではないと言えるかもしれません。
板垣と新渡戸の生きた時代はかなりなっていますけれど、
わたくしの中では、板垣は明治から大正のイメージ、
新渡戸は、大正から昭和(戦前の昭和)というイメージが大きいです。

本の内容についてはお応えできかねましたので、
他の話になってしまいましたが、何かのお役に立てたなら幸いです。

柚木さん、また、コメントをくださいね!
楽しみにしています。

質問です。

お久しぶりです。
とても楽しみに拝見しております。

質問なのですが、板垣退助の説明画像にあった、著作「武士道」に驚きました。
板垣退助も、武士道を書いていたのですね。初めて知りました。
新渡戸稲造の「武士道」とはどう違うのでしょうか?

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