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土佐旅行・・・・長宗我部の「一領具足」

P7217444.jpg

ということで、長宗我部と一領具足。

今回の土佐旅行での大きな収穫は、
絵金祭りの金蔵と長宗我部のことを野中兼山同様に知ったこと。
わたくしにとってはワクワクすることでした。

高知県の方や四国の方たちにとって、
この長宗我部はおそらく多くの方がご存知なのでしょうが、
関東や東北の人たちにとっては、特に歴史に興味や関心がなければ、
おそらく聞いたことがある名前かも、といった程度なのではないかと思いますので、
以下、まずは、ご紹介させていただきますね。



長宗我部



もっとも、21代の当主である長宗我部元親(もとちか)は、
「姫若子」(ひめわこ)と呼ばれていたほどのイケ面だったそうで、
近年、歴女といわれる若い女性たちに人気だそうです。
娘いはく、「戦国バサラ」に出てくるん美系だよとのことで、もしかすると、
学校の歴史の授業には関心ゼロでも、意外と子供たちは、
漫画やゲームを通じて知っているのかもしれないですね。

長身で色白で鼻筋の通った美男子で戦に強く人情もある武将となれば、
若い女性だけではなくファンは多かろうというものですが、



長宗我部盛親


というように、イケ面のリーダーも後継者選びには失敗。
敗れたりといえでも、斬首とはあまりにも哀れな末路です。

信長の名前を一字貰って名付けた長男の信親(のぶちか)が生きていれば、
まったく違った結果になったのでしょうが、

親以上に長身でイケ面の美男子で、しかも、
鄙(ひな)には稀な京都の公家の素養をも持つ若侍に育ち、
つわものどもの部下たちにも慕われたという有能な長男を亡くせば、
名将といえども失意のあまり愚かなことをやってしまうのかもしれません。


その元親、土佐を根城に四国を統一するまで、
彼が兵として育てたのは土佐の農民でした。それが一領具足と呼ばれる半農兵士。


P7217450.jpg



この像の雰囲気からして、一領具足の半農兵士は何だか強そうでした。


以下、短い説明なので、お読みになってみてください。


P7217447.jpg


こうして農民が兵士として活躍することになる一領具足の制度、
この制度が効を奏して元親の四国統一が実現するのですけれど・・・・


P7217448.jpg



これほどの勇猛果敢でならした兵士たちも、
組織だって訓練された軍団には太刀打ちできなかったということで、
長宗我部は、秀吉によって、四国を統一した覇者から、
土佐一国の主へと勢力を激減させられていきます。
いかに有能なリーダーでも、
訓練された兵力がないと駄目だということでもあり、
わずか数千の兵で二万とも四万とも言われる今川勢を破った信長は、
やはり特別なのかもしれません。



P7217449.jpg


長宗我部の悲劇は、元親の後継者となった末っ子の盛親の時代になってから
なぜか組む相手を戦のたびに間違えたことにあると言えそうですが、
家康と組んで秀吉を倒そうとした元親の覇気は、
息子には遺伝しなかったようです。

育て方を間違えたのか、末っ子ゆえに甘やかして育ててしまったのか、
いかに、優秀な長男を亡くしたからとはいえ、
元親の後継者選びは、あまりに無残な結果をもたらしました。

長宗我部の後に土佐を統治することになった山内一豊は、
戦のたびに仕える相手を間違えなかったとも言えそうです。
いつも勝ち組となったことを思うと、
両者の違いは何だったんだろうと。


賢妻の有無だったのかも。

元親って、毒婦のような権力亡者の女性を身近に置いてしまったので、
それが悪かったのかもしれませんね。
妖艶な悪女にはいかに美女でも要注意という歴史の教訓でしょうか。

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Re: 長宗我部元親

> 長宗我部家を調べたことは無いので何ともコメントのしようがありません。

わたくしも今回の土佐行きで、
長我部のことは初めていろいろのことを知りました。

> しかしながら四国を制覇したと言っても、所詮田舎の殿さまに過ぎなかったのでしょうね。


確かに、短い期間で終わっていますし、閑話ノートさまのおっしゃる通り、
秀吉軍の前には成す術もなかったというのもその通りですね。

> 機を見るに敏も無く、先見の明も無かったから最後はお家断絶。


ところが、そうでもないのです。
元親は、天下を獲るのは信長かと見越し反発しつつも信長に接近し、
長男(信親)の名付け親になってもらったり、
信長が本能寺で倒れた直後は、今度は家康を見込んで家康と同盟を結び、
伊勢と連携して反秀吉の一翼を担ったり、
秀吉が天下を取ると、苦労して獲った四国全土を返上し、
土佐一国の領主に戻り、秀吉に仕えます。

野心家なのに、こうしたことはなかなか出来ないことだろうと、
伊達政宗公に似ているなあと感じた次第でした。

問題は、後継者として手塩にかけて育てた長男信親を、
島津攻めで亡くした後です。あまりに壮絶な討ち死にだったので、
おかしくなってしまったのかもしれませんね・・・・
病気で亡くなる前に、一番ダメな息子を後継者にしてしまい、
この盛親が長我部を断絶に追い込んでしまうのです。

長宗我部元親

長宗我部家を調べたことは無いので何ともコメントのしようがありません。しかしながら四国を制覇したと言っても、所詮田舎の殿さまに過ぎなかったのでしょうね。秀吉軍の前には成す術もなかった。機を見るに敏も無く、先見の明も無かったから最後はお家断絶。これ自然の流れでしょうか。歴史を下って俯瞰するから誰でもわかるということかw

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