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土佐旅行・・・・高知城の天守閣で出会った歴史上の人物たち

天守閣


高知城の天守閣で思いがけなく出会った人物たち、
いずれも、いまとなっては「歴史上の人物」であり、
いずれも土佐にとって欠かせない「歴史的人物」たちでした。

まずは、こちらの山内豊範(やまうち・とよのり)。


山内豊範


山内豊範って、誰だ!?
ここは、高知城、その名も山内とあれば、姿恰好からして明治新政府時代。
そう、思って正解で、幕末維新期で最後の土佐藩主となった16代藩主です。

いかにも素直に育った人の良さそうなお殿様(おぼっちゃま)といった風ですね。
明治17年の華族令により侯爵となりましたが、程無く逝去。享年40歳。

激動の時代を生き抜いて行くエネルギーがなかったのか、あるいは、
それ以上の、常人の想像を超えるストレスゆえの若死にだったのか。




つぎは、幕末のドラマや映画でおなじみの土佐藩主、
山内容堂(やまうち・ようどう)です。


山内容堂


この人物、どうも、わたくしの中では印象が悪く、
実に「優柔不断」な藩主というイメージが出来上がっているので困ります。
人物伝によれば、⇒ 山内容堂 は、
格別、悪い印象を持たれるような藩主ではなさそうなのですが、

むしろ、越前の松平春獄、宇和島藩の伊達宗城、薩摩の島津斉彬と並んで、
幕末の4賢侯と言われたほどの人物です。
安政の大獄で一時失脚しますけれど、
新らしく出来た明治政府では要職に就任。

そんな容堂のイメージが、なぜ悪いのかというと、
この人物がもう少し開明的であったなら、
そして、もうちょっと身分制度を見直す英断ができた人物であったなら、
土佐藩の有為な人物の多くは死なずに済んだのではないか!?
そう思われるからかもしれません。


それでも、この容堂も40代半ばで亡くなっていますから、
いろいろの悔いの思いがその寿命を縮めたのかもしれないですね。



三人目は、こちらの人物。

P7217473.jpg


吉田東洋(よしだ・とうよう)です。
この人物が天守閣に飾られているとは驚きでした。

勤皇党の志士に暗殺された土佐の国学者ですが、
こちらの吉田東洋
を読んで、そうだったのかと納得。

それにしても・・・・

吉田東洋が公武合体派であったなら、そうと分かっていたなら、
尊皇攘夷派の土佐勤王党の志士たちも、己が身を危うくする東洋の暗殺など、
いかに、武市瑞山が原理主義者だったにせよ、
妥協の余地はあったのではないか、そう思われてきます。
歴史に、れば、ならば、は意味をなさないとは言いますけれど。




その隣りに並べられていたのが、こちらの人物。
吉田東洋暗殺の、土佐勤皇党のリーダーだった武市瑞山(たけちずいざん)です。

武一半平太


武市瑞山というより、武市半平太(はんぺいた)といった方が、
馴染みがある名前かもしれませんね。

吉田東洋の暗殺犯は、
土佐勤王党の志士那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助と言われていますが、
武市はその犯人として切腹させらます。

人斬り以蔵と呼ばれた岡田以蔵と武市半平太の関係と絆、
以蔵と龍馬の関係と絆、龍馬と半平太の関係と絆、
多くの小説や映画、ドラマで演じられることの多い彼らの関係を思う時、
わたくしは土佐でもまきおこった歴史の嵐の凄さを思うと同時に、
そこに夢を見、志を立て、それゆえに、
惨い拷問を受け切腹や暗殺で倒れていった彼らのような志士たちに、
涙を禁じえないです。




この武市半平太の横に並んでいたのが、以下の二人でした。
京都四条河原町の近江屋で暗殺された中岡慎太郎と坂本龍馬です。

中村慎太郎

中岡慎太郎坂本龍馬
ご参考までにリンクを貼りましたので、
二人のことはイマイチよく分からないという方は、
この機会に、ぜひ、お読みください。

このときの暗殺犯は、いまだに歴史の謎にされていて、
多くの説があり、いろいろの本が出ています。
龍馬の暗殺犯説の中には「中岡慎太郎説」もあるくらいで、
また、龍馬をフリーメイソンのスパイだったとするものもあります。

歴史上のヒーローとなっている龍馬の実像って、
いまなお、分からないところがあるので、
こうした諸説が生まれるのかもしれません。


P7217476.jpg



高知城の天守閣に、山内容堂の肖像画と共に自分たちの写真が飾られるなど、
慎太郎も龍馬も想像さえしていなかったことでしょうし、
それはまた、山内容堂も同様だったことでしょう。

暗殺された吉田東洋とその犯人として切腹させられた武市瑞山においては、
百数十年後の土佐で、自分たちがお城の天守閣で並んで紹介されるなど、
夢にも思わないでいたに違いありません。


高知城内の展示コーナーでは多くのことを勉強させてもらいましたが、
この高知城の天守閣に並べられていた人物に思いを馳せたなら、、
土佐ほど、戦国から幕末明治にいたるまでの歴史というものを、
考えさせるところはないのではないか。
そんなふうに思えてきました。

高知城を訪ねたことで初めて知ったこと、学んだことなど、
まだまだご紹介したいことはありますけれど、
高知城のご案内はこれで終わりにさせていただき、
土佐旅行シリーズの先に、進ませていただこうと思います。

高知城を去るにあたって、以下の一首を最後にご紹介させていただきますね。


     君が為尽くす心は水の泡
           消えにし後は澄み渡る空


岡田以蔵の辞世の歌です。


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Re: 歴史上の人物

> 璋子さんの率直な感想が述べられていて

そうなんです。
ここは、言いたい放題の一歩手前で自粛でした。(クール汗)


> なぜか私の印象に悪い人物は、山内容堂、吉田東洋ですね。

わたくしも閑話ノート様と同じです。
どうしても好きになれない人物でした!(印象汗)

> 多分本当の歴史と真実を知らず、歴史小説からの表層的な見方に起因するのでしょう。

吉田東洋は土佐藩士から尊崇の念で見られていた人物だったようで、
あの岩崎弥太郎も東洋を尊敬していたそうです。

> 次いでながら板垣退助も好きになれない人物です。(笑)

それも同感!(笑)けれど、
坂本龍馬を土佐の幕末の英雄に祭りあげるのに功績があった第一人物は、
もしかすると、この板垣かもしれないなあと。

歴史上の人物

璋子さんの率直な感想が述べられていて宜しいと思います。
土佐、そうここでは何と言っても坂本龍馬と中岡慎太郎に軍配を挙げたいですね。なぜか私の印象に悪い人物は、山内容堂、吉田東洋ですね。多分本当の歴史と真実を知らず、歴史小説からの表層的な見方に起因するのでしょう。次いでながら板垣退助も好きになれない人物です。(笑)

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