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安芸旅行・・・・安芸城跡(1)

安芸城跡前の蓮1


白い蓮の花って、なかなか目にする機会がないので、
まずは、安芸城入口で眺めた蓮のご紹介から。

安芸城の元はお堀だったのでしょう、
城跡を巡る南の堀跡に白い蓮は植栽されていました。



P7227928.jpg


その安芸城跡、夏を印象付けるかのような蝉の声ばかりの、
人の姿を一人も見かけない静かな里の住宅地にあり、

城跡の入口にあったこの白い蓮の前で、帰りには、
見学を終えたばかりの安芸城の歴史に思いを馳せ、
しばし、もの思いにふけってしまいました。



P7227926.jpg



平城なので、こじんまりとした印象を持ちましたが、
この安芸城の歴史を知るにつけ、いろいろの思いがよぎりました。

安芸城は、戦後貴時代、「土佐の七雄」称された安芸氏の居城だったところで、
前のブログでも書いた長我部元親(ちょうそかべ・もとちか)と戦で、
国虎自決のあと、やがて、今度はその長我部が滅んだ後に、
山内一豊の家来の五藤氏の居城となります。

五藤氏は、土佐藩山内家の家老を代々務めることになる重臣の家柄。
けれど、一国一城の制度のため、五藤為重はここを「安芸土居」と命名。
今回の土佐旅行で、すっかり土佐の歴史にハマってしまって。




P7227927.jpg




安芸城跡
安芸城跡 説明


その五藤家と山内家の縁は深く、
安芸土居の主となった為重の兄の五藤吉兵衛為浄(ためきよ)は、
知る人ぞ知る猛者であります。
山内一豊を語る時に必ずと言っていいほど登場する家臣で、
大変な兵といったイメージを抱かされる人物。

というのも、浅井・朝倉攻めの戦の折り、
山内一豊が顔面に矢を受けたとき、
家臣の吉兵衛為浄は、主君である一豊の顔面を草鞋のまま踏みつけて、
その矢を抜いたという人物。
山内一豊が五藤吉兵衛為浄の弟に安芸城を与えたのも、
そのような吉兵衛への恩情からだったのでしょう。




P7227930.jpg



この石垣だけは、こうして残っているんですね。
石って、すごいですね・・・・
石垣に触れたら、この土居と称した安芸城の歴史に、
思いを馳せずにはいられなかったです。

冒頭の安芸城南側のハスの花の色がよくあるピンクではなく白いこと、
白が選ばれたことのは偶然ではないように思われました。
この城の歴史を思う時、それは慰霊なのでしょう。



P7227934.jpg

次のブログで、城跡内を見て行きたいと思います。
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