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土佐旅行「番外編」・・・・若一王子宮(香南市)(2)

神社巡り35-36

この若一王子宮は、前ブログでもご紹介しましたように、
熊野権現から勧請された社なので、
ご祭神は、神仏習合の神ということになります。
神社の境内や狛犬の姿を見てもそれは感じられましたが、

この神仏習合の神様と本地仏、数が多くて分かりにくいですよね。
そして、古事記と日本式でも同じ神様とされるのに、名前が違う。
これでは覚えようと思っても、大変!
格別の関心でもない限り覚えられないと思いますので、
覚えなくてよろしいと思います。眺めるだけでよろしいかなと。

勧請元の熊野速玉大社(新宮)のご祭神は、
熊野速玉大神となりますが、他にも主祭神がおられます。
つまり、眺めるのはこの3神でいいだろうと。

ご祭神を簡単にまとめると、


伊邪那岐神(いざなぎ・の・みこと)=速玉之男神(はやたま・の・お・みこと)
つまり、イザナギ=ハヤタマノオ

でも、それぞれの本地仏は違うのです。

イザナギ千手観音ハヤタマノオ薬師如来

ということは、イザナギ=ハヤタマノオという分身説は、
本当は、違うのかもしれません。
日本書紀の編集の時にイコールにされてしまった別の神なのか。

もう一人の主祭神は、家津美御子大神 (けつみこ・の・おおかみ)
家津美御子大神というのは、素蓋鳴大神とされており、

ケツミコノオオカミ=スサノオ阿弥陀如来

ちなみに、那智大社では、千手観音に比肩されているのは大己貴命。
面白いと言えば面白いですね。
ナムジ=大国主命=イザナギという扱いになるからです。

ということで、主祭3神の中で誰が一番偉いのかは、
本地仏の身分で考えると更に面白い。
いかに他の神と同列にされていても、
やっぱり、スサノオの神は別格なのですね。



以下、拝殿です。


神社巡り35-24

神社巡り35-22

神社巡り35-23


この拝殿の前の左手にあったのは、以下の歌碑で、


神社巡り35-21


拝殿に向かって右側にあったのが、以下の戦没者の慰霊碑でした。


神社巡り35-16



こちらの慰霊塔は新しく建立されたものですが、
新旧二つの慰霊塔が並んだわけです。
古い石碑の慰霊塔が地震や台風で壊れたときのことを想定して、
破損しにくい石で慰霊塔を備えたのでしょうか。



神社巡り35-17


こちらの戦没者の方たちの名を刻んだ芳名碑も、同様に、
尊崇と慰霊の思いで、新たに建立されたのでしょう。


神社巡り35-19


お一人お一人のお名前を、娘と口にしながら、
その方たちの人生やご家族のことを思い、その死を思い、
この方たちが従軍された戦争のことを思いました。
この神社が鎮守の森の中に存続し続けられる限り、ここは、
戦死された氏子の皆さまの鎮魂の場として在り続けるのしょう。
獅子吼の表情をした狛犬と共に。




神社巡り35-20



拝殿の上方の奥に見えるのが本殿です。


神社巡り35-37


その本殿に拝殿から昇る階段にトタンの屋根がかかっていましたが、
以下のような状態でした。
いずれ取り壊されるか、新たなものが作られるのか不明ですが、
このままの状態では、本殿の素晴らしさが、景観上半減しそうです。


神社巡り35-28


坂を登っていくと、



神社巡り35-30


大黒様(恵比寿様)と思しき像がありました。


神社巡り35-29



五穀豊穣を祈り、大漁を祈る土佐香南の方たちにとって、
身近な神様だったということでしょうか。




奥にあったのは、金龍神社という祠。

神社巡り35-26


祠自体は新しそうですが、金龍神社というのは古そうです。
某かの古い縁起がありそうですが、さらにその大昔、
この山で金属鉱物などが発掘されたのかも。
土佐に秦氏の一族が住んでいたことを思えば、調べてみたくもなります。





境内には、大国主命を祀る摂社もありました。
ちなみに、大国主命は大黒様ですものね。



神社巡り35-25


大昔、海のルートを通じて土佐と出雲は交易していたのだろうと、
ふと、そんな思いが過りました。

その土地に行き、その場に立って初めて思い浮かんでくるものって、
直観的に正しかったりするので、調べ甲斐も出てきます。



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テーマ : 高知(土佐)
ジャンル : 地域情報

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Re: Re:Re:石碑

こちらこそ、閑話ノート様からいただいたコメントで、
改めて考えさせられた次第でございます。
素敵なコメントの数々、本当に感謝の思いでいっぱいです。

どこのコメント欄に記そうかと思っておりましたが、
この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

FBに写真をアップすれば、少なくない方たちが、早々に「いいね」をくださいます。お早い方だと、アップして2~3秒後でございます。(笑)けれど、こちらの「いいね」にそれらは反映されず、おそらくブログにはお越しいただいてはいないのだろうと。日々、ブログにいらしてくださっているのは、FB以外ということですね。ネットでのお付き合いを頂戴してきた方たちと、検索してお越し下さる方たちなのだろうと了解致しました。

それだけに、いただくコメントは嬉しい限りでございました。
土佐安芸旅行に最後までお付き合い下さり、
ありがとうございました。(=^^=)

Re:Re:石碑

>勝利の記念というよりは、戦争そのものの記念碑かと。
この「紀」という文字でそう思ったものですから、
やはり、これは慰霊のための塔なのだろうと思った次第でした。

そうですね。多分そうでしょう。そうじゃなければこの複数の石碑は辻褄が合わないですものね。これで納得です。再調査は不要です。有難うございました。

Re: 石碑

> 石碑の写真の文字が判読しずらいのですが、「戦役紀念碑」と「慰霊碑(塔)」は単なる新旧でなく、意味合いが違うのではないですか?

ご指摘のこと、まさにその通りです。

> 芳名碑のほうも新旧があり、新は先の大戦と思われる。
旧は上部に「日清・日露・欧州戦役従軍者」と刻まれている。
なので台風云々でなく全く別物の忠魂碑とも思われる。

今しがたご指摘の箇所を見てみました。
古い石碑の陸軍の「戦役紀念碑」も、そこで亡くなられた方たちを、
新しい慰霊塔の方で一緒に慰霊するための氏子の慰霊碑と思った次第でした。
なので、地震や台風で壊れたときのことを想定して破損しにくい石で、
この慰霊塔を建てられたのだろうかと。

戦没(センボツ)ではなく「戦役紀念碑」と書かれているのは、
閑話ノート様が言われるように、日露戦役の記念の石碑だろうとのご指摘、
わたくしもそのように思ったのですけれど、
勝利の記念というよりは、戦争そのものの記念碑かと。
この「紀」という文字でそう思ったものですから、
やはり、これは慰霊のための塔なのだろうと思った次第でした。

ご指摘の件、お時間をいただけましたら調べてみたいと思います。

石碑

おはようございます。

石碑の写真の文字が判読しずらいのですが、「戦役紀念碑」と「慰霊碑(塔)」は単なる新旧でなく、意味合いが違うのではないですか?芳名碑のほうも新旧があり、新は先の大戦と思われる。旧は上部に「日清・日露・欧州戦役従軍者」と刻まれている。なので台風云々でなく全く別物の忠魂碑とも思われる。

戦没(センボツ)とせず、なぜあえて戦役(センエキ)「紀念碑」と書かれているのか?地方でときどき見かけるのは、日露戦役勝利の記念の石碑でもあると考えられる。

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