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京都 「時代祭」(The Jidai Matsuri Festival)2013・・・(5)明治維新時代(Meiji Restoration Period)「維新志士列」の「七卿落」列

七卿落ちといわれるこの事件は、混乱期の幕末維新時代の前半。
薩摩と長州が考えの相違から対立していたとき、薩摩は会津藩と組んで、
倒幕の急進派だった長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放。
尊王攘夷派にとっては、クーデターが失敗した政変です。
その政変に加わった尊王攘夷派の公家たち7名が京都を追放されることになり、
世に「七卿落ち」といいます。落ちて行った先は長州藩。


日本語って面白いですね。
幕府が江戸(東京)で祭り事(政治)を行っていようと、
天皇がおられる京都=都ということで、
そこから地方に行くことを「下洛」(げらく)と言い、
地方から京都に行くことを「上洛」(じょうらく)と言うんですから。
ちなみに、なぜ、「洛」という文字を使うのかといえば、
当時の先進国である中国の都「洛陽」への憧れからでしょうか。
平安京の遷都を行った桓武天皇は、
中国かぶれとも言われた天智天皇政権の系統ですから、
唐からの帰った留学生の多かった当時の朝廷にとって、
新しい都、京都を、日本の洛陽にしたかったんでしょう。

こういう言葉が、現代でも使われているのが京都なんだなあと。

さて、
七卿落のトップバッターは、
真木和泉(まきのいずみ)です。


時代祭り21 維新の志士列 七卿落ち1 真木和泉


わたくしの学生時代、真木和泉の名前などを口にしようものなら、
間違いなく”右翼”というレッテルを貼られていただろうと思います。
歴史を知るという意味で語ったとしても、です。
左からいる人から見れば、真ん中にいる人でも右になるということで、
経済の繁栄の傍らで、おかしな時代が続いてきたものだと思います。
特に、教育への影響が甚大だったと。
時代は、やっと、変わりました。


七卿落ちの二番手は、
久坂玄瑞(くさか げんずい)です。
秀才の誉れの高かった長州藩の若きリーダーでした。
あの蛤御門の変
(禁門の変ともいいます)で、
無念の壮烈な死を遂げた志士です。
彼の死で長州の薩摩への憎悪は決定的になりますけれど、歴史は皮肉ですね。

彼の行動と思想、その死が与えた志士たちへの影響は、
計り知れないとされています。敵味方の、双方に及ぶわけですから、
歴史は時に、こうした痛ましい犠牲を求めるものなのかもしれません。
犬猿の仲となった薩摩と長州を、大義のために結びつけたのが、
坂本龍馬たちということになるので、龍馬の仕事を評価するためにも、
やはり、この久坂玄瑞の非業の死を理解したいなあと。


行列の写真が見当たらなくてすみません。

七卿落の行列ながら、以上の二人は公家ではありません。
七卿落となった事件に関わる重要な人物たちでした。

ということで、やっと、七卿の登場です。
そのトップバッターは、


時代祭り21 維新の志士列 七卿落ち3 三条実美


三条実美(さんじょう さねとみ)です。
リンク先をクリックしてお顔をご覧ください。
似てませんよね~~(汗)と思いつつ、我慢、我慢!
時代祭のこうした登場人物たち、公募するというのはどうなんでしょう。

一生懸命パンフレットを見ながらカメラを向けていた見物客、
特に外国の方たちにとって、
三条実美という明治の日本の総理大臣って、
こんなお顔をしていたのかと誤ったイメージを持たれるかも。
お顔のイメージって、大事ですよね・・・

可愛らしいお顔の三条もお公家らしくて良しとしつつ、
やはり、お公家ながら三条実美の過激さが見たかったなあと。


この期に続いたお公家の方たちは、誰が誰なのか分からないまま、
通り過ぎてしまったので、(汗)省略させていただきますね。


そして、
七卿の皆さまの後に続いたのが、以下の人物たちでした。
まずは、
吉村寅太郎土佐藩の脱藩組の一人で、
武市半平太の土佐勤皇党に参加。以下の人物たちと違うのは、熱烈な勤皇派でも、
死に場所でしょうか。


時代祭り21 維新の志士列 七卿落ち4 公家は省略 吉村寅太郎


この後も誰が誰なのか分からないまま、
皆さん、足早に目の前を通り過ぎて行かれたので、
お名前だけ記しますと、
頼山陽(らい・さんよう)の子息である
頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)、
梅田雲浜(うめだ・うんぴん)
そして、長州藩が久坂玄瑞ならこちらも福井藩士で秀才の誉れの高かった志士、
橋本左内(はしもとさない)、
いすれも、壮烈な死を遂げていますよね。

壮烈な最期を遂げたといえば、ラストは、こちらでした。


    

時代祭り21 維新の志士列 ラストは吉田松陰


吉田松陰です。

つまり、七卿落ちのお公家たちの行列の後の人物たちは、
吉村寅之助を除いて、皆、
安政の大獄(あんせいのたいごく)で斬首された人たち。

安政の大獄が描かれた映画やドラマは幾多もありますけれど、
いまだに印象に残っているのは、
子供の時に見ていた高橋幸治という俳優が松陰を演じたドラマです。
その後も、多くの俳優によって松陰が演じられましたけれど、
あのドラマは忘れられないですね・・・
NHKの「八重の桜」の吉田松陰には、正直、驚愕させられました。
いかに人気俳優でも使ってほしくなかったなあと。

いよいよ、この「明治維新時代」の行列もラストです。
「維新勤皇隊」「維新志士列」(「維新の志士」「七卿落」「大獄の犠牲者」)
と続いてきましたが、この時代のラストがこの人物でした。

       ↓

近衛 忠煕(このえ ただひろ)です。
その後に、その関係のお公家たちが続きましたが、
誰が誰なのかとうとう分からずじまいで、ごめんなさい。


時代祭り22 明治維新時代 維新の志士列 このえただひろ


近衛 忠煕は、NHKの大河ドラマ「篤姫」(あつひめ)でも登場したので、
ご記憶の方もおられるかもしれませんね。
落語家の春風亭小朝さんが演じていました。

篤姫を公家の娘として徳川将軍家に嫁がせるために、
島津家から近衛家の養女とした際の、その近衛家の当主が忠煕です。
なぜ、この人物がラストに登場するのかなあと。
お公家のことに詳しくないせいか、イマイチ、分からない。

子供のころからこうした「時代祭」を見て育っている京都の方たちは、
こうしたこともご家庭や学校で教わって育つのでしょうか。
お公家のことを知らないと京都人にはなれないと教わりましたが、
だとするなら、京都人にはなれそうにないなあ、であります。

「時代祭」、次は、江戸時代であります。
時代を遡るに従って、装束が華やかになっていきますので、
お楽しみいただければと期し、アップしていきたいと思います。

気長にお付き合いいただき、ここのブログでご一緒に、
京都の三大祭りの一つ「時代祭」をお楽しみいただければ幸いです。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 楽しい

> いやはや、これは仮装行列なんですね。

なるほど、そのように思えばよろしいのですね!(笑)

> なんとまぁ楽しい時代祭、行列ですね。(^'^)

ところが、スピーカーから「歴史のお勉強」を強いるかのような、
解説が遠方から聞こえてくるのであります。
ゆえに、仮装行列をより楽しむためには、
登場人物への理解が欠かせませぬ。(笑)

楽しい

いやはや、これは仮装行列なんですね。なんとまぁ楽しい時代祭、行列ですね。(^'^)

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