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京都 「時代祭」(The Jidai Matsuri Festival)2013・・・(9)安土桃山時代(Azuchi-Momoyama Period)「豊公参朝列」(Procession of Toyotomi family)

楽天初勝利に沸いたばかりですけれど、
またまた「時代祭」の続編をお届けしたいと思います。
あとで、この「時代祭」の記事は11月1日の日付のところに全部まとめたいと思います。


戦国の世を制して天下を統一したのは、秀吉でした。
秀吉は関白太政大臣となり、いよいよ参内します。

時代祭では、その様子が「豊公参朝列」として紹介され、
その後に続く「信長公上洛列」と合わせて「安土桃山」の行列になります。


安土桃山時代1



では、「豊公参朝列」の様子からご紹介しますね。


安土桃山3

幟を持った後の二人を「先払鉄棒」というのだそうです。
初めて知りました。
その後の騎馬上の人物は、前田玄以(まえだげんい)
秀吉の5奉行の一人ながら、ドラマや映画ではまず主役となることがないので、
ほとんど知られていないかもしれません。なぜだろうと考えて見るに、
おそらく日本人の多くはこういう人物を好まないからだろうと。



安土桃山4


延暦寺の層だったのですが、信長に招かれて家来となり、
その後、信長の長男の信忠の家臣となり、
本能寺の変では、信忠の嫡男の三法師を連れて脱出し、その翌年には、
信長の次男の信雄の家臣となり、
秀吉が天下を獲るや、秀吉の家臣となって活躍。

委細は、リンク先をお読みいただくとして、
機を見るに敏な政治家のような立ち回りというか、
戦国時代にあってこの身の処し方、見事なものであります。



安土桃山5


こうした人物が、秀吉の参朝のトップバッターとなっているのは、
豊臣政権においては、京都所司代として
朝廷との交渉役を務めたからでしょう。


二番手が石田三成で、三番手が、浅野長政でした。

写真がなくてすみません。前田玄以のことを眺めながらあれこれ考えているうちに、通り過ぎてしまって写真を撮り損ねてしまったようです。石田三成も浅野長政も共に、時代劇ではお馴染の人物ですが、天下分け目の関ヶ原の戦いでは敵味方となる両人。この浅野長政も豊臣政権下では随分と活躍した人物なのですが、勝ち組についたせいなのか、戦国の世にあって長寿を全うしたせいなのか、なかなかドラマの主人公には選ばれない人物ですね。

さて、行列では、豊臣政権下で活躍した大名5名が登場しますが、
行列に徳川家康はいませんので、政権前半の参内なのですね。


安土桃山6


この牛車(ぎっしゃ)、御簾も華やかで実に見事な牛車ですね。
檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしくるま)というそうです。
牛車の屋根はビロウの葉で葺いたものだそうですが、ビロウって何かしら?そこで、調べてみたら、ビロウと檳榔(びんろう)とは別種なのだそうです。混合されてしまったのでしょうか。
秀頼公が参内されたときの行列が一番華やかだったといおうことですから、秀頼公が乗られた牛車なのだろうと思います。


安土桃山7


この牛車の後に、掛杖持(かけつえもち)、階持(きざはしもち)、雨皮持(あまがわもち)など、聞いてもよく分からない人たちが行進。何を持つ人たちなのだろうと思ったら、雨皮持の雨皮(あまかわ)って、雨が降ってきたときに牛車に掛ける雨覆いのことらしく、階は、牛車から降りる際に用いる階段状のものらしく、面白いなあと思いました。思えば、いずれも必要なものばかり。沓持(くつもち)までありました。

こちらは、ご覧の通り、槍持(やりもち)です。


安土桃山8


以下は、替え牛と牽馬。


安土桃山9


替え馬ではなく、こうして着飾った馬を引くのは、神事の名残なのでしょうか。
だとするなら、こうした行列もなかなか興味深いものがありますね。権力者が参内するにあたって、神事を踏襲してみせることで臣下の礼を示したということなのかと。間違っていたらごめんなさい。


安土桃山10 牽馬


そして、後半に、後の奉行らが続きます。
こちらの四番手となる騎馬上の人物は、増田長盛


安土桃山11 増田長盛


この人物も、豊臣政権下で活躍した人物ですが、評価というか好ききらいがが分かれる人物かなと。ますだ、ではなく、ました、と読みます。京都三条の大橋に、彼の名前がいまなお刻まれているとのこと。見た記憶があるなあと。今度、写真を撮ってきますね。

そして、「豊公参朝列」のラストはこちら。

安土桃山12 長束正家


この長束正家(ながつかまさいえ)も豊臣政権下の奉行で、太閤検地で活躍しているんですね。関ヶ原では西軍に与した奉行として、三成が斬首されたのに対して、こちらは切腹。けれど、いずれの首も京都三条の河原に曝されています。
いまは、夏の納涼床でにぎわう三条の河原ですけれど、歴史を振り返ると、京都の夏を彩る風情ある河原も、残酷な処刑場でもあったのだと改めて思いました。
杜の都の仙台市内を蛇行して流れる広瀬川は、いま、市民の散策の憩いの場の一つになっていますが、広瀬川の河原近くにある評定河原という野球場があります。実は、その球場になっている河原もまた、伊達藩の時代には処刑場だったそうです。そこで斬首された人たちは、将来そこが市民の憩いの場になろうとは想像すらしていなかったことでしょう。そして、市民もまた、そこがかつてどんな場所であったかなど思うこともないのかもしれません。

あらためて、「時代祭」が歴史を振り返る祭りだとされる由縁を感じますね。




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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 前田玄以

> サラリーマン社会でもときどき前田玄以に似た社員をお見かけしますw

やはり、いらっしゃるんですね~政界にこそ多いかなと思っていたのですけれど。

そもそもが当時の延暦寺の僧侶という出身からして、
並みの武将など敵わないくらい、保身の智謀に長けていそうです。(笑)
こういう人物をわが国の対北東アジア専門の外務報道官にしてみたら、どうかな~などと、つい夢想してしまいました。

前田玄以

僧侶から最後は大名にまで登り詰める。主君を次から次へと渡り歩いた生き様は、戦国の世ならではですか?それとも参謀として知略に長けていたのか?サラリーマン社会でもときどき前田玄以に似た社員をお見かけしますw

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