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京都 「時代祭」(The Jidai Matsuri Festival)2013・・・(11)「室町時代」(Muromachi Period)-(1)

行列は遡り、その前の室町時代になりました。
時代祭の行列も、やっと、半分まできたかなあと。

さて、室町時代。

学校の日本史ではどう習ったかを思い起こせば、
こんな感じだったのではないかと。

 「足利尊氏が建武式目を制定し征夷大将軍になってから、
  足利義昭が織田信長に京都から追放されるまでの時代をいう」

さりながら、教わった当時からイマイチ、
この時代のイメージが混とんとしていました。

将軍は15代まで続き、実は、徳川幕府とほぼ変わらない長さの時代。
1338年から1573年まで数えて見れば235年間!
なのに、徳川時代のように長く感じないのは何故なんでしょう。
実に分かりにくい時代でもあります。

朝廷が南北に分かれた時代をいわゆる「南北朝時代」と呼び、
応仁の乱で都が灰燼に帰して以後はまさに「戦国時代」。

学校では荘園制だの下剋上だのと習いましたけれど、
戦乱の時代でありながら自由闊達な時代でもあるといった印象で、
金閣寺や銀閣寺が作られたのもこの時代。
今に残る京都の書院造の禅寺や庭園が作られ、茶の湯の侘び寂び文化が開花し、
観阿弥・世阿弥のお能や狂言もこの時代に完成。
雪舟の水墨画、後の狩野派の祖といわれる狩野元信も登場し、
侘び寂びと言いながら、実はなんだかても賑やかなイメージさえあります。

皆さんは、どんなイメージをお持ちでしょうか。



室町1


室町時代の行列は、「室町幕府執政列」と「室町洛中風俗列」の2つ。
上の写真の先頭は雑食(ぞうしき)と供侍(ともざむらい)と呼ばれる者たち。
拡大すると、よく見えます。


室町2


こうした装束を見ると信長たちの戦国時代とは随分違って、
槍を持ちながらも公家文化の影響下にあることが感じられますね。
武士と言いながらも、兵士の甲冑は薄く、実に軽武装です。


こちらの騎馬上の人物は、御供衆(おともしゅう)と呼ぶそうで、
言葉からして後の時代と比べれば「やわらいでいる」時代だなあと。



室町3 伊勢氏


この御供衆の一人は、政所執事(まんどころしつじ)という役職で、
担当していたのは伊勢氏とありました。誰!?という感じですが・・

源平合戦の頃からこの時代までの武士の武具や装束は、
あまり変わらなかったみたいですね。


こちらは、奉公衆と呼ばれています。
奉公衆という言葉、初めて知りました。


室町4 奉公衆


そして、早々と、足利将軍の登場!
この行列では個人名でなく、当時の武家風俗のご紹介を主とするらしく、
どの人物にも個人名がありませんでした。やはり、北朝は無視!?
なので、代々の足利将軍は皆、こうした装束だったのかなと、
そんな感じで眺めておりました。


室町5 足利尊氏

赤地金らん桐文様の鎧直垂
(よろいひたたれ)に引立烏帽子(ひきたてえぼし)といった姿です。
この烏帽子姿の武将って、いつ見ても不思議だなあと。
ルーツは何だったのだろうと。

★ご参考までに⇒烏帽子(えぼし)(クリックしてみてください)


室町6


足利将軍を演じている人物は沿道の見物客のためにサーヴィスで、
何度か道路中央をグルグル回ってくれました。


次に続くのが、鎧櫃(よろいひつ)、鎧を入れるための箱運びですね。


室町7


この行列の中で、
何だろうと思ったのは、こちらの装束の人物。


室町8 御医師


俳人風だなあなどと思っていたら、御医師と呼ばれる人物でした。
上洛時や謁見時の行列に、なぜ、医師も?と思いましたが、
御医師と呼ぶからには将軍直属ですね。
足利将軍は身体が弱かったのかも・・・


こちらも御供衆の一人で、管領職の細川氏。


室町9 御供衆 管領細川氏


この時代、管領は将軍の補佐を務める大役のため、
細川、斯波、畠山の三家が、交代で就任したそうです。
この装束は、細川氏の装束だとか。

装束といい兜といい、実に華やかで豪勢な感じですね!


御供衆が続きます。こちらは「侍所所司」という役職の山名氏。


室町10 御供衆 侍所所司 山名氏


侍所所司という役職も、一色、赤松、京極、山名の4家が交代で務めたとのこと。
当時は、遠目でも見た目でそれと分かったとすれば、
装束や武具=家紋の代わりみたいなものだったのでしょうか。



室町11 山名氏

室町12 山名氏


そして、ラストの御供衆はこちらの二階堂氏。
室町時代に「二階堂」・・・・
二階堂さんって九州に多いのかという印象ですが、
あとで、この氏族名について調べてみますね。


室町12 御供衆 評定衆二階堂氏


評定衆というのは、読んで字の如し。政治を合議する際のメンバーということですね。

それにしても、この室町時代の○○衆という呼び名って、
この時代から使われるようになったのでしょうか。
国語に詳しい方、ご教示願えれば幸いです。



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Re: 室町時代

おはようございます。さっそくご紹介のサイトに伺いました。
この「衆」という言葉、漢字の成り立ちにも注目したりしたのですけれど、
○○衆、といった区分けがやたらと登場してくる室町時代。
どうして○○衆と呼びならわすようになったのだろうと。

一遍の時宗が時衆とも称されていたこと、初めて知りました。
すると、人々が集まる様子、集まった人々を○○衆と呼んだのは、
鎌倉時代あたりからかもというお話、なるほどと。
そのルーツがあるのかもしれませんね。

ご紹介のサイトの中に、
「衆」の訓読みの中に「とも」というのを発見し、
もしかしたら、といきなりこの言葉のルーツについて
イメージされたものがありました。

渡来系民族が大勢この列島の倭国に移住してきた古代、
何度かに渡って移住してきた渡来人たちに対し、
土地を分けるにあたっては全国に散らばせられたようですが、中でも、
専門技術を有する渡来人たちはグループごとに分けられて、
都の近くに居住させられ「伴造」として大王の直属として朝廷に貢献。
この「伴造」もかなりの人数だったそうです。
この「≪とも≫のみやっこ」の「とも」という言葉、
もしかしたら、○○「衆」の「衆」は「とも」がルーツかも!?
などと、つい思ってしまいました。(笑


> 時代祭の冒頭のブログで、まるで「仮装行列」のようだとコメントしましたが赤面の至りです。

いえいえ、最初はドキリとさせられましたけれど、
なるほど!そうも見えるぞと納得させられましたもの。ww

室町時代

時代祭をこうして拝見すると、列に登場する人物の装束が見事なまでに豪華でありますね。とにかく衣装にコストがかかっています。時代祭の冒頭のブログで、まるで「仮装行列」のようだとコメントしましたが赤面の至りです。

さて「衆」のことですが、いつ頃からこの字が使われたのか分からないですね。室町期というよりも鎌倉期の感じがします。というのは、一遍開祖の時宗は時衆でもあるからです。また評定衆は北条泰時執権のころからだと思われます。日宋貿易に関係するのか・・・。(謎汗)
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A1%86
http://goo.gl/GJ9dFS

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