奈良 西大寺と 称徳天皇

正倉院展に出掛けた折に、立ち寄った西大寺。
何十年振りだろうかと感慨深いものがありました。
ご承知の奈良の東大寺が東の大寺なら、西の大寺がこの西大寺。
奈良時代の南都七大寺の一つでした。
当時は100を超える堂宇を持つ大官寺だったといいますから、いかに、称徳天皇(孝謙天皇が再び天皇になってからの呼び名)の時代に朝廷の思いが込められたお寺だったか。
まさしく父帝の建立した東大寺を意識してのことだったのかと。
京都に都が移されてからの平安時代に火災に遭ったりし、その後は、随分、寺は衰退したようですが、江戸時代に現在の姿に再建されたとのこと。再建への思いがそれほど大きかったのでしょう。
薬師寺のような華やかなお寺と違って、枯淡とした渋みの中に格式を感じさせるお寺です。古代史の本を読んでいると実によく登場するお寺ですが、西大寺は、真言律宗の総本山。

(本堂は重要文化財。本尊は釈迦如来像。文殊5尊像他が安置。いずれも重要文化財)
称徳天皇といえば、自分の病を治した道鏡という僧にすっかり心服し、僧侶を天皇にしようとした女帝だといえば、ああ、あの女性天皇かと、思い至る方も多いのではないかと思いつつ、
この女帝、道鏡事件でワイドショー的に流布されたイメージのせいで、かなり実像がゆがめられているかもしれないなあと思ったりします。というのは、処女王エリザベスと似た側面もあるからかもしれません。
エリザベス一世はスペインと戦い、あの無敵艦隊を破った女王ですが、
称徳女帝は、父帝の聖武天皇の遺詔を忠実に守り実現するために、
自分の後継者の皇子や、その皇子との中継ぎの天皇を決定に当たって、
実に多くの血を流した女帝でもあります。
元部下であろうと、元男女関係にあった相手であろうと、
天皇である自分と考えが違って敵味方となれば、
血を流すこと流させることをいとわなかった。
日本にもこういう女帝がいたということを記憶に留めるだけではなく、
その姿をきちんと考えたいわたくし。

そんな称徳女帝が誓願して創建されたといわれるこの西大寺、
発願した仏像を安置するためのお寺として創建。
本尊よりも金堂よりも最初に作られた仏像というのが、
仏を守護するために戦う四天王像だったのですから、
お寺の造営としては普通じゃありません。

(創建期の由緒を伝える唯一の堂であるといわれる四王堂ながら、ここも17世紀に再建されています。
この四天金堂の中に安置されている四天王像も実に見ごたえのある四天王像です)
西大寺は、称徳天皇の勅願寺。国家護持と平和祈願のために創建されたと言われていますけれど、戦勝祈願だったからこそ金銅四天王像の造立を発願されたわけで、それが746年だったのも頷けます。
その実態は戦勝祈願だったのだろうと。
東大寺を建立した聖武天皇を父に、光明皇后を母に持つ女帝は、
即位するまでは安倍内親王(あへのひめみこ)といい、
血筋としては誰も異存を挟む余地のない血統であり、、
彼女が男子であれば、その後の歴史はさぞかし違っていたことでしょう。
しかし、聖武天皇には、彼女に比肩するような男子は、
とうとう生まれなかった。
安倍内親王は、そうした生まれ環境の中で紆余曲折を経て、父帝の決定によって「皇太子」となり、皇太子となって天皇に即位(孝謙天皇)した唯一の女帝となります。
そもそも、男子だから「皇太子」というのですけれど、
女性がその「皇太子」になるなど天皇制史上初めてのこと。
祖母に当たる元正天皇(大変美しい女性だったそうです)同様、即位時点で、
生涯夫を持つことならぬ子供も産んではいけないと定められての即位。
父帝によって「男子」と期されての即位という点で、孝謙天皇の覚悟は、彼女自身、純粋培養されただけに、政治上では妥協より原理主義的な断行も良しとされるようになる。

女性天皇はよく「中継ぎ」と言われますけれど、
天皇となるべく養育され天皇として正当に即位したこの女帝、
あの、我が子草壁皇子を天皇にするためにその手を血で染め上げたような持統天皇でさえも、草葉の陰でさぞや驚愕しただろうと思われるほど、その重責を担う覚悟と使命感と責任感は半端ではなかった。
だからこそ、あの持統天皇以上に、父帝の遺詔に忠実だった分、
多くの血を流させることになったのだろうと。

(愛染堂)
そうして即位して孝謙天皇となられた安倍内親王でしたが、まだ若かったときは、実権は母の光明太政天皇が握り、孝謙天皇はある時期まではお飾りだっただろうと思われます。
しかしながら、中継ぎの天皇を用意し譲位して孝謙太政天皇となられた頃から、そして、偉大な母の光明太政天皇の死去の後あたりから、いよいよ、この女帝の本領発揮となりました。
有名なのは道鏡問題ですけれど、自分の後継者問題をめぐって、(異母妹の子を時期天皇にするにあたって中継ぎの天皇をどうするかを巡り)道鏡を候補にしたい孝謙太政天皇(称徳天皇)と対立する藤原仲麻呂と、とうとう大軍を擁しての戦となります。
が、戦を仕掛けたのは称徳天皇側ではないかと思われる節があり、いかに吉備真備を参謀としたにせよ、権力者である彼女の意志が何より優先されていたはずで、この戦を決意し勝つために手段を選ばなかったのも称徳女帝だった。史実を知ると、実に、容赦のない戦いだったように思われてなりません。
中継ぎの天皇を定めて後、今度は、その男が天皇として相応しいかどうか常に天皇の忠義を監視し、自分への孝養を求めて指導し駄目だと判断した瞬間、最後は武力を以てしても切り捨てる手際は、凄まじい。

(愛染堂に安置されている愛染明王坐像。仏師善円による鎌倉時代の代表作)
武力で倒されて淡路に流された淳仁天皇の最期も哀れですが、
そのとき仲麻呂軍に同行した塩焼王たち皇族の最期も、
彼が実の妹の夫君だということを思えば、実に哀れなものでした。
この塩焼王という人物、その前も女帝の不信を買い、
20年余伊豆に流されてやっと都に帰還した人物なのですけれど。
ちなみに、吉備真備は皇太子時代以降に女帝に帝王教育を行ってきており、
女帝からの信任は最後まで厚かった。
孝謙天皇時代にも、血が流された。橘奈良麻呂の乱がありました。
その折の他の皇族や貴族も彼の最期も、実に惨いものでした。
女帝は孝謙太政天皇となられたあと、
再び天皇に返り咲いて称徳天皇となります。
こういうのを重祚(ちょうそ)と言い、女帝に多いような印象を持ちます。
そうした時代は、後継者問題が常に存在します。
この女帝に対するイメージ、何と言っても、この大事件、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱を、自ら率先して鎮圧するにあたったのではないかと思われるような、隠された凄まじさがあるように思われてなりません。
実に凄まじかった!
神宮皇后も持統天皇も真っ青という感じかも。
容赦なく乱を制圧した経緯を知るにつけて、惨い!とさえ感じます。
おまけに、女帝の怒りの凄まじさは、原理主義的な恐ろしさがあり、
処刑する前に相手の名前を屈辱的な名前に変えるところにも表れています。
麻度比(まどい)という言葉の意味は、
いつも迷っていて決断できないおバカな男という意味だそうですが、
処刑される前にこの名前に改名されたのは、
かつて一度は皇太子にされた道祖王(ふなどのおおきみ)という人物で、
若いころの孝謙天皇とは親密な関係を持ったこともあったようです。
が、天皇という絶対権力者として君臨統治する身となると、
そんなものは関係なくなるのでしょう。
他にも、うすのろだの、○ちがいだの、実に凄まじい改名もあるほど。

(四王堂の本尊、十一面観音立像。重要文化財)
実の妹の流罪のときにさえ、当時の皇族の女性に対しての態度とは思えないような、信じられないような改名をしています。
けれど、すべては、称徳天皇にとって父帝であった聖武天皇と、
父帝の政治補佐を行い自分の政治の後見をも亡くなるまで続けた母光明皇后の、
その尊崇してやまない両親の教えと遺詔を忠実に守るために、
天皇として全身全霊でやり通すしかなかったことでもあったのでしょう。
日本の歴史も、こうしてあらためて辿っていくと、
実に感慨深いものがありますね。
昨夜読んだ本の中に、
聖徳太子が日本の仏教の祖として尊崇を受けて行く歴史は、実は、この称徳天皇の時代(光明皇后~孝謙天皇時代も含む)から後宮の女性たちによる朝廷主導で始まったという記述があり、改めて唸らされた次第です。
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