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京都 黒谷 金戒光明寺(7)・・・熊谷直実の墓所

PB269725.jpg


熊谷という文字と蓮生大法人という文字が飛び込んできました。ああっ、ここだわ!


PB269729.jpg


熊谷直実の御墓です。確認するために裏に回ると、


PB269727.jpg


ああ、円光大師の御廟のこんな近くにあったのかと。そうですよね、法然を頼って出家した武将です。
死してなお師を尊崇してここに眠られたのでしょう。直実は出家後、法名は蓮生でした。


以前、大原にある「なた捨て藪」跡のことを取り上げましたが、
覚えておられるでしょうか。そこに法然上人と熊谷直実出家改め蓮生坊の関係を、
垣間見ることができるように思われます。

そんなことを思い出しながら、ふと、横に目を向けると、


PB269731.jpg


小さな文字で書かれた大夫という文字と敦盛の二文字・・・あっ、
思わず、声を漏らしてしまいました。


PB269732.jpg


直実は、敦盛の菩提を亡くなるまで弔ったのですね。笛の名手にしてイケ面若武者であった平敦盛の供養塔。
そう、頼朝の配下の武将だった熊谷直実が首をはねた美貌の若武者が、平敦盛(たいらのあつもり)。
お能やドラマや映画で描かれることも多いあの場面が、目に浮かんできるような錯覚に陥りました。

一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)で戦死した若武者、いまでいうジャニーズ系の美貌を持ち、かつ、
平家の中で果敢な若武者として知られた敦盛、享年17歳。

熊谷直実の脳裏から敦盛の末期の、そのハッとする程の美しい顔は、
断腸の思いで身をよじらせたに違いないその慙愧の念と、
いかにしても取り戻せない命の重さ、虚しさと相俟って生涯脳裏から消えなかったかもしれません。

法然と出会って、自決するつもりだった鎌倉武士熊谷直実がさめざめと泣いたという伝承が、
改めて想起させられます。もはや、御仏にすがり、敦盛の菩提を弔う以外にこの世にある理由はないと
思い定めた瞬間、救いは訪れたのかもしれないと。

仏教がそれほどまえに力を持っていた時代の話ながら、思わず、手を合わせたわたくし。合掌

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