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京都 長楽寺 水戸藩烈士の墓地(2)…頼山陽のお墓

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最初に目指したお墓は、頼山陽とその子、頼三樹三郎の親子の墓。

彼らは水戸藩烈士ではありませんが、父親は当時の日本に大きな影響を与えた大学者であり、
息子はその思想に殉じた烈士でありますから、水戸藩烈士たちの尊王攘夷思想に多大な影響を与えた。
そんな親子の歩んだ人生に思いを馳せながらご紹介させていただきますね。



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頼山陽に関しては、歴史上の著名人の一人なので、ここで書き加えることなどありませんが、
墓碑銘を見て、死してなお儒学者であったか!という思いを抱かされました。



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この三樹三郎、京都生まれの京都育ちなせいか、父に儒学を学び他でも学問したものの、当時、
京都で吹き荒れていた尊王攘夷思想に強く影響され、青春の血を熱くたぎらせた青年の一人だったんですね。
当時の京都にあって、父、頼山陽の下というのは、相当に刺激を受けてやまない環境だったろうと。

この父にしてこの子あり・・・時代ゆえの避けがたい悲劇だったとも言えるのではないかと。


いつか、三樹三郎の評伝小説なども読んでみたいと思いながら、
長州、薩摩、土佐関係で人物評伝は終わったものの、そのままになっていました。

父親に似たのか、かなりのやんちゃだったようですから、
十代に時代を動かす思想と出会えば、無理もないと思いますが、
吉田松陰や橋本左内と同じに、安政大獄で刑死で斬首されたのが三十代半ば。無念だったことでしょう。

これは、彼の尊王攘夷という思想以上に、一橋慶喜の擁立を求めて活動するなどの行動力、
そうした情熱ゆえの影響力など、井伊大老ら幕府にとってはまさにどうにかしなければならない人物として、
その持ち前の行動力こそ警戒されたのでしょう。

母親が生きていたなら、いかに激しくとも長州の高杉晋作のように、
たとえ断腸の思いであろうとももうちょっと自重したかもしれないと想像してみましたが、
この時代、痛ましい死が多過ぎますね・・・

すでに両親は亡くなっていたので、それがせめても親孝行となったと言えるかもしれません。
三樹三郎の隣に、山陽の妻、三郎の母と思われるお墓がありました。合掌。


以下は、ご参考までに。

450px-頼山陽3274



それにしても、頼山陽とクリスマスでは真逆ですね。

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テーマ : 歴史
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