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京都 長楽寺 水戸藩烈士の墓地(3)…頼山陽の近親者のお墓

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山田翠雨って、誰だろう?どこかで聞いた名前ですが、思い出せない。

頼山陽のお墓の隣にあり、「先生」とありましたので、
頼山陽に近い人物で同じ儒学者なのだろうと推察できましたが、分からないので、後で調べることに。

★山田翠雨(やまだ・すいい)1815-1875 

頼山陽の京阪文人サロンに集まっていた儒学者の一人で、頼山陽他との人間関係図がなかなか興味深く、
頼山陽の父親の代から代続きのつながりが見られ、その関係図を作成してみると面白そうです。

山田翠雨は、大阪在住の儒学者篠崎小竹の娘婿である後藤松陰に師事していますが、
その小竹の養父篠崎三島という人物もまた、当時著名な大阪の儒学者で、山陽の父、頼春水とも懇意だった。
前ブログでご紹介した京都の浦上玉堂の子の春琴も、親子代々で山陽と懇意な間柄だったように、
この京阪サロンの人間関係図を作成してきたら面白そうです。

いずれも、儒学だけではなく漢詩や書にも優れていたという点で、
山陽の京都サロンは学問教養だけではなく、感性もまた相当にレベルが高そう。

そうした環境から、三樹三郎のような尊王攘夷の烈士が生まれたことを思うと、
つい、思い出されることがありました。大塩平八郎に影響を与えた「実学」の思想、
大阪という地はそうした思想を重んじる地だということ。

京都と大阪の雰囲気は真逆だと言われますけれど、その底流には案外似たものがあるのではないかと。



PC140604.jpg


こちらの旗山児玉も、頼山陽のお墓の傍にありました。こちらも、どこかで見たような名前だなあと。
調べて見ると、旗山もやはり山陽の弟子で、(旗山児玉が児玉旗山と刻まれていましたので)

山陽の子の三樹三郎の教育にあたった人物でした。相当に山陽の信任が厚かったのでしょう。

旗山児玉(←委細はこちらで)


まだまだ、頼山陽と関わりの深かった人物たちのお墓がありましたが、逐一ご紹介しかねるので、
頼山陽のお墓とその関係のご紹介はこれで終わりにさせていただきます。

それにしても、お墓というのは不思議な場です。

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