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慶賀の日に改めて考えさせられた「象徴天皇」と「国民主権」における人権

この12月23日に80歳のお誕生日を迎えられた天皇陛下の、
その慶賀の日に予定していたブログ記事を、わたくしは没にいたしました。
なぜなら、その主旨はご譲位に関するものだったからです。
必要なら皇室典範の憲法改正をするべきだというものでした。

しかしながら、
会見での陛下のご公務の皇太子への引き継ぎに関するお言葉の中に、

「再来年になると皇太子は50代半ばになり、
 わたくしどもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって、
 再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。
 この引き継ぎは体調とは関係ありません」

とされた上で、その他のご公務に関しては、

「今のところ、しばらくはこのままで行きたいと思っています」

とあったからでした。
昭和天皇もまたご崩御まで日本国憲法に定められた天皇として、
そのご職務を全うされたように、
今上陛下もまたその御覚悟なのかもしれません。

しかしながら、


「天皇という立場にあることは孤独とも思えるものです」


というお言葉は、まさに人間としてのご発言であり、
わたくしなどには実に痛ましく感じられました。

このご会見のお言葉は、
明治憲法、戦前の大日本帝国憲法で位置づけられた「現人神」としての
天皇のものではありません。かつての憲法のように「万世一系の天皇」ゆえに
この国を「統治する」主権者として定められたお方のもとは、
明らかに異なります。いまさら申し上げるまでもなく、
いかにその神格さが語られようと、
戦前でも天皇陛下を人間ではないなどと思っていた日本人は、
恐らく子供以外にはいなかったはずです。当時の国民の多くは、
この国の依って立つ歴史と切っても切れないその存在の神聖さに、
尊崇の念を抱き恐れ多いと感じて頭を下げたのです。

神聖と言う意味では「神」と同義の存在だったということで、
姿はないが存在するといった信仰対象の神さまではありません。

新旧両憲法の第一章が共に天皇に関するものであるように、
日本という国はいかなる民主制の国に変わろうと、
古代国家の主権者だった天皇とともにあり続けてきた国がらです。

戦後の陛下の人間宣言を経て、いまの憲法では、
天皇は「日本国民の象徴」ですけれど、この意味を、
皆さんはどのように考えていらっしゃるのでしょう。

マスコミを始め左翼と称される政党や人たちは、
戦後の歴史の中でいつしか「護憲」一辺倒になっていますけれど、
天皇主権ではなく在民主権の諸権利を保障する現憲法に照らせば、
人間天皇であられる陛下に対して、誤解を恐れずに申せば、
人間としての基本的人権を保証する義務が国民にはあるはずです。

護憲派ならなおさらのこと、
こうした象徴天皇制を受け入れた国民に、
主権者としてその義務があることを啓発せねばならないでしょう。

ご高齢の陛下、ご体調がすぐれない皇后陛下に対して、
これまで通りのご公務を期するということは、
天皇皇后両陛下に対する甘え以外の何ものでもなく、
いまだご譲位制度や後継者問題に関する法整備をせず、
国会がこの問題を先送りにし放置していることは、
国民の怠慢以外の何ものでもないと思っていました。が・・・・、

陛下のお言葉に接して頭が下がりました。
皇太子さまと皇太子妃もまた、両陛下の深くて大きな思いを、
重く重く受け止められたことでしょう。
わたくしも同様です。


と同時に、やはり、考えないわけにはいかないのです。
象徴天皇となられた陛下およびご皇族の人権というものを。
それを考えていただきたくて、以下の著書を、
ここでご紹介させていただくことにしました。


PC250982.jpg


公家や大名などの家では、双子が生まれると畜生腹と言われ
特に男女の双子の場合、前世での情死者の生まれ変わりとされ、
生まれた子の一方を生まれなかったことにされた。

日本が近大国家になった後でも、戦前の貴族階級、特に皇室で、
その因習は残っていた。

この皇室ジャーナリスト河原氏の著作に関し、
宮内庁は公式には事実認定はしておりませんが、
否定もしていないように思われます。

わたくしたちは、国民主権というならば、
関心を持って考えなければならないことがある。

大正天皇と皇后貞子さまとの間に生まれた御子で、
三笠宮さまの双子の妹君となれば、先の昭和天皇のご姉妹であり、
今生天皇陛下の叔母上に当たります。

天皇家やお公家には、
皇位継承者以外の皇子たちが仏門に入れられる歴史は多々ありますけれど、
そんな昔じゃない時代になっても、ご皇室なるがゆえに、
畜生腹とされては権威に関わるということで、
双子の一方のお子が生まれたこと自体を秘匿され、
生後間もなく内密に里親に出され、
馴染んだその里親からまたも内密に連れ出され、
予定の門跡寺院に隠されて仏門に入って生きるよう育てられる。

学校に通うことも許されず、同じ年頃の子供と遊ぶことも許されず、
仏門に入って生きることしか許されない人生が、

両親との親子の対面も亡くなるまでならず、
親子の名乗りさえ亡くなった後も認められず、
秘匿されたままでのご対面しか許されなかった人生など、
皇族ゆえだったとするなら、

そのような人生を現憲法下になっても続けられた内親王の存在を、
わたくしたちはどのように受け止めて考えればいいのでしょう。

人権にうるさいはずの方たちも、
こと皇族に関する人権には一顧だにしないのは、なぜなのか。
陛下の前で恭しく頭を下げる国会議員も、なぜ、
このような状況を放置して恥じないのか。


無論、この本の内容をどう評価するかは、
お読みになった方の判断にお任せするしかありませんが、

80歳を超えてなおご公務に当たられる天皇陛下と、
激痛を抑えてご公務にあたっておられる皇后陛下の慈しみに対し、
日本国憲法の精神にのっとり憲法を遵守されて活動される両陛下に対し、
わたくしたちは、それで、日本国憲法に定められた主権者として、
その責務を果たしているといえるのだろうか。

奇しくも、この12月23日というのは、
先の戦争で「戦争犯罪人」としてA級戦犯(国内法では名誉回復済み)
とされた人々が処刑された日にあたります。
あえて、当時皇太子だった今生天皇の誕生日に執行したのは、日本人に、
戦争犯罪国としての意識を永遠に刻むためだったという説もありますが、
そんなことはどうでもよく(現に、国民の多くは知らないので)、もっと他に、
国民が陛下のために考えるべき大事なことがあるだろうと思う次第です。
陛下をわれわれの象徴とした「国民主権」なのですから。

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テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

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Re: 象徴天皇

このようなテーマの記事に対して真摯なるご意見を頂戴し、
閑話ノート様、感謝申し上げます。

象徴天皇というあり方について、
皆さまはどのように感じていらっしゃるのか、
また、どのように受け止めどう考えておられるのか、
聞いてみたいと思いました。

皇国史観の方たちや一部の保守派の中には、
天皇親政というものを望まれる方もおられるようですが、
いかに聖徳太子が考えられた政治体制でも、
それは現代では無理というものですが、そうした方たちが、
陛下のご公務のあり方に何とも感じないのか不思議でなりません。

また、ブログでも書きましたが、
天皇制解体を党の綱領に挙げているような政党もあるのに、
そこが護憲派を名乗るのも不思議でなりませんし、
護憲派なら、第一に、天皇主権から国民主権となったいま、
象徴というお立場でのご公務を憲法で定められた陛下の、
人間としての人権がないがしろにされているとも言える現状を、
彼らが放置していることも解せません。

日本国憲法の精神に従うなら、逆説的ですが、
現憲法は改正しなければならないすよね。
少なくとも憲法のそうした矛盾が未整備さが、
天皇陛下および皇室の方々の人権を毀損していると、
わたくしは考えております。

さて、閑話ノート様の言われたこと、
陛下のお誕生日を祝うために皇居前広場に集まって国旗を振る一般の方たちのこと、
自然発生的に参賀という方たちもおられれば、
所属する団体組織から動員されて来られた方たちもおられるようですが、
行ってみたいということで参加する若者も少なくないようです。

この様子を北朝鮮やイランのような独裁国家のそれと、
同一に論じるわけにはいきませんけれど、北朝鮮の故金正日は若いころ、
戦前の日本の天皇の姿にかなり憧れがあったようですので、
イメージとして目指したところは共通のモノがあったやもしれません。
国家主義的戦時体制での天皇の存在は、まさしく、
先軍政治体制を目指した金日成正日親子の理想だったかもと。
けれど、北朝鮮の場合、ピョンヤン在住市民の広場集合とイベント参列は、
罰則を伴う義務なので比べるのは妥当ではないですよね。

皇居前広場に集まった人々の様子を見ていて、
わたくしが真っ先に思い起こすのはヴァチカン広場に集う人たちの姿です。
法皇が決まる時など広場に何日も寝泊まりして決定を待ち、
新しい法皇がバルコニーに姿を現した時の、
人々の様子とそっくりです。

そこから類推することが許されるなら、
天皇陛下の慶賀に集まる一般の人々の多くも
新しい法皇決定慶賀を祝うために各国から(それも民主主義体制のお国から)
集まってこられたキリスト教徒の方たち+観光客と同じではないかと。
神に祈ってくださる祭祀長というか司祭たちのトップが法皇です。
信仰の対象や形態は異なっても、天皇陛下もまた、
日本の神々の祭祀を司るトップであり、
国の平安と国民の安寧を祈ってくださる存在ですから。

> 「象徴天皇」の件、憲法改正し、この字句を外したらどうか?国民の象徴なんて天皇に押しつけることは如何なものか?私が管見するところ天皇家に失礼だしおこがましい。国家の都合のいい天皇への圧力であり規制である。

わたくしもその点、まったく同意見でございます。
2週間で作成したような憲法では、
日本の伝統を踏まえた形を探りつつ天皇の位置づけを考察するには、
最初から無理があり、このままでは民主国家であろうが
国家の統治にとって都合のいい天皇の政治利用と変わらないのではないかと。

また、天皇の継承において男子による系統を歴史上重んじるなら、
一夫一婦制を天皇家に適用することの是非や
離婚の自由を天皇家に認めるかどうかも
問われねばならないかもしれませんし、
そのようなことを当人のご意志を無視して、
誰が決められましょうか。

> もっと具体的に突っ込むと、国民の象徴天皇と箍を嵌めることは基本的人権(憲法第11条)を妨げている。

まさにおっしゃる通りです。

> それゆえ人間天皇として自由な生き方をして欲しいと願うものである。

戦後没収した天皇家の財産をお返しして、
陛下には京都にお戻りいただくという話をこちらではよく耳にします。
国家元首としての地位との整合性もありましょうが、
いまのままでは良くないことは明白です。
どこに、国家元首に亡くなるまで公務をしろという国があるでしょう。
どこに、男子を産まなければならないと皇太子妃に迫る国があるでしょう。

女系天皇論、宮家の増設、譲位問題などなど、
国会で憲法改正も視野に入れて皇室典範の改正を、
先送りせずに論議してもらいたいものです。
それも早々に審議して決めてもらいたいと願っている次第で、
これを、国民に向けて総理会見で発表すれば、
国会審議を注視する国民も増えるでしょう。
多くの国民は天皇陛下の人権改善に賛同すると思います。

象徴天皇

今上(きんじょう)天皇の誕生日にあたり、皇居前広場の一般参賀の人々を見てなんと感じられたか?思いは人それぞれであろう。一般国民が元首の前に大勢集まって熱狂的?に国旗(小旗)を振る光景は北朝鮮であれイランであれ同じではなかろうか。日本国の元首と他国の元首との違い、国民の思いの違いがあるのかないのか?いや北朝鮮は政治的動員をかけられたというかも知れない。日本の場合は今上天皇に尊崇の念を抱いた国民が自然発生的に慶賀の場へ集まっただけだと・・・。だけどこの二つの違いは私には分からない。

次にこの日のブログのタイトルにもなっている「象徴天皇」の件、憲法改正し、この字句を外したらどうか?国民の象徴なんて天皇に押しつけることは如何なものか?私が管見するところ天皇家に失礼だしおこがましい。国家の都合のいい天皇への圧力であり規制である。もっと具体的に突っ込むと、国民の象徴天皇と箍を嵌めることは基本的人権(憲法第11条)を妨げている。それゆえ人間天皇として自由な生き方をして欲しいと願うものである。

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