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京都 妙顕寺(1)・・・・初詣

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去年から聖徳太子の「法華義疏」を読み始めたせいでしょうか。
初詣に行ってみようと思ったのが法華宗のお寺でした。

選んだ基準は、

①法華宗のお寺で歴史が古く由緒のあるお寺
②元旦で帰りのタクシーが拾えない可能性を考慮し歩いていけるお寺


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ここ妙顕寺は、日蓮の滅後にその遺命を受け京都で布教中だった日像という僧が、
後醍醐天皇より寺領を賜り建立したお寺で、
京都における法華宗の根本をなす寺院となったと言われています。


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京都のお寺って、延暦寺や東寺の空海の関係で、天台宗や真言宗のお寺のイメージ、
そして京都五山の禅宗のイメージが結構強かったのですけれど、
浄土宗系、浄土真宗系のお寺も実に多いなあと。
思えば、本願寺もあり知恩院もありますから、当然なのですけれど・・・


日蓮宗の僧侶や宗派のことがよく分からないので、
僧の名前にリンクを貼らせていただきました。


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この石碑の中にある「忍難弘通」という言葉、
弘通というのは仏教の布教のことですが、
日蓮宗での「忍難」というと、イコール弾圧のイメージ通り、
開祖の日像という僧侶もまた、
土佐配流、紀伊流罪、洛内追放という弾圧を受けています。

妙顕寺ではこれを三黜三赦と呼んでいるそうですが、
鎌倉時代のこうした宗教弾圧というのは日蓮宗に限りませんが、
日蓮宗は、やはり、弾圧対象としてのイメージが大きい。

何故なんでしょう・・・・

日像の後を継いだ僧侶は大覚という僧侶ですが、
この僧侶も布教に邁進し中国地方(備前)での法華経地盤を築いたとされ、
こうした布教への情熱が特徴といえると思いますが、
この大覚という僧侶で驚かされるのは、
雨ごいの効験によって後光厳天皇から大僧正に任じられること。

修行道場である寺院に、
勅願寺という金看板を挙げていられる由縁ですね。


P1011113.jpg



雨乞いは、奈良飛鳥時代には大王(帝)の責任の下で斎宮の仕事とされたり、
女帝の場合は女帝自ら責任を果たさなければならなかったほどで、
平安時代になると、神泉苑での有名な空海の雨乞いのように、
帝に代わって雨乞いをする大僧侶たちが登場しますけれど、
雨乞いを期待される法力というのは、大変なもの・・・・

14世紀には、日蓮宗の僧侶がそれを行ったということで、
これも初めて知りました。認識を新たにさせられた次第です。



こちらは、小門。

P1011110.jpg


脇に、尾形光琳の墓所とあり、墓参を思いたちましたが、


P1011109.jpg


残念ながら、か墓所である小寺院は閉まっているということで、
詣でることは叶いませんでしたけれど、
尾形光琳が日蓮宗の信徒だったというのは、新発見でした。

光琳は17世紀末に活躍した画家として有名ですが、
京都の商屋生まれで代代、その交際関係は一般人とは異なり、
将軍家をはじめとして大名や公家との交友も盛んですから、
代代、日蓮宗信徒の家系だったのかもしれません。

ここ妙顕寺との縁も浅からぬものがありました。


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つぎのブログで、境内の様子をご紹介させていただきますね。
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