追悼 森浩一氏・・・・日本を知る≪日本の古代学・地域学≫
2013年をわたくしなりに総括する、その第二弾は、以下の追悼記事となりました。
個人的には、この方を第一にご紹介したかったほど。
ここのブログでたびたび書いてきましたように、わたくしの興味関心の対象の一つは日本の古代史。
関心を持って本を読むようになって十数年になりますが、だからといって、
邪馬台国がどこにあったのかとかというそういったことにはほとんど関心はありません。
古代史をめぐる論争も一通り眺めては参りましたが、
そうした論文や著作を読めば読むほど、だからなんなんだ!?
といった感想を持ってしまうようになったのも、それら研究者の姿勢というか、
なぜ古代史を研究しているのか、なぜ、考古学を専門分野に選んだのか?
といった姿勢に多くは共感するところがなかったせいです。
日本の古代史に関心を抱くきっかけは、わたくしの場合現代の「政治」であり、
日本の国の形成というものを考えざるをえなくなったのであり、
学ぶたびにそれが現代の政治を考える滋養になりました。
受験で選んだ科目も世界史、学生時代に学んだのもドイツを中心とした西欧史。
そんなわたくしですから、日本史の知識など高校で学んだ山川出版の「日本史」の教科書レベル。
最初は律令制にいたる歴史を学び始めたのですが、
ほどなく、古代史の謎、更に上代の列島の姿に思いを馳せるようになり、
特に、京都に移り住むようになったのを契機に、本や資料を読みあさるようになりました。
そんな中で、本を通してではあっても、その言説に共感を覚え、
だんだんとその人柄に信頼を置くようになり著作を探して読み始め、
気が付けば著作のほとんどを読んでいたという経緯で、
いつの間にか人としてもたまらなく好きになってしまっていたんですね。
その人物がこちらの森浩一氏です。

わたくしごときが説明するのも憚られますけれど、
森氏はお若いころから考古学に夢中な少年で、長じてから
日本の遺跡の発掘調査に関わってこられた考古学者ですけれど、
当時の考古学界のあり方、たとえば、発掘された異物を
大御所に連なる学者たちの自説に都合のいいように解釈する姿勢に距離を置き、
また古代史学会の、古事記や日本書記などを読むのは非科学的だと断じて
無視するといった姿勢にも安易にくみせず、文献資料の研究も大事にされ、
ご自分の直感や調査を信じてご自分で考えるという姿勢において、
まったくブレがなく、氏の言説は、シンポジウムにおける討論会におけるものでも、
実に気持ちがいいものでした。痛切に媚びない、迎合しない。
あくまでも、学者として、誠実であり、かつ慎重であり、真摯で、厳しい。
★ご参考までに ⇒ 森浩一氏
ウィキにも紹介されているように、都が置かれた近畿中心の歴史の見方は歴史を見る目を曇らせるという点を、当たり前のように指摘してこられ、そして地域を重視してこられた。たとえば、古代史で有名な「磐井の乱」
これをヤマト政権中心に見るから「乱」と命名される。
それでは当時の真実がいかなるものだったのかは見えてこないと、
地域の発掘を通して見えてくるものを大事にされた。
天皇陵を記紀に書かれたどの天皇陵とするかといった点においても、
明治に指定されテ以来、すでに定説となってきた天皇陵名でも、
その後の考古学上の発掘や研究から覆されている天皇陵名も少なくない。
考古学的に証明出来ない天皇陵は、宮内庁でどのように指定していようと、
先入観を持たないために在地の名前で呼ぶことも提唱。
学校で習っていたあの仁徳天皇陵が、大仙陵古墳と呼ばれるようになっていたことを知った時には、
正直、混乱し驚愕したものでした。
氏は、遺跡の保存運動にも尽力してこられた。高度成長期の開発で破壊され失われた遺跡の数々に対し、
調査に携わった経緯から残念な思いを山ほどしてこられたけれど、
それを声高く叫ばれることもなかった。
学会における研究者たちの姿勢に対しても
批判すべき点は批判するけれども大声で叫んで糾弾することもない。けれど、
自らの姿勢を通して静かに忍耐強く問いかけ続けてこられた。
著作を通してそのように思われてなりません。
ご専門の考古学にはめられていたような垣根に拘られることなく、
記紀そのたの文字資料、金石などに刻まれた文字資料、
いわゆる文献資料の研究にも真摯で、史料の読み込み研究は、
中国、韓国の古代歴史資料にも及び、必要な時には
古代の文字の読み方もご専門とする方たちから指南を受けられ、
他分野における研究成果に対する識見も高く、氏の対談本はとても楽しみでした。
わたくしは考古学のことは良く分かりません。けれど、
これほどまでの情熱を支えていたものは何だったのだろうと、
訃報に接してからずっと考え続けてきました。
訃報に接した時のショックと寂しさをどう言えばいいのか・・・・
森浩一氏の本ならずっとずっと読み続けたかった一人として寂しくてならない。
この氏を2013年を振り返るときの人物として挙げさせていただいたのは、
そうした個人的な感情や思いを超えて、氏のメッセージとして、
以下の事を改めてかみしめたいと思われたからです。
自分の頭で考えるということ。
そのために必要なことは自ら地道に勉強するということ。
ものを考える際の基本を踏まえその歴史を踏まえ学ぶということの大切さは、
我流での学問研究には意味はないその期間は無駄になるという氏の、
厳しい言葉に表れているように思えました。
新たに分かったことでこれまでの定説が間違いであったなら、謙虚にそれを正していく勇気。
新たに分かったことでそれまでの自説が補強されたとしても、それを自らの功績として偉ぶらない。
学究というものに終わりはなくすべては継承されて行く。
継承されるべきことが継承されて行く時、少しづつ明らかにされていくという姿勢は、
ある種の諦念といってよく身震いするほど見事だと思います。
そこに野心も小我はなく、まっすぐな情熱があり、継承されるべきものへの確信と畏怖の念、
そして、それらを継承する人々への信頼と喜びさえ感じられました。
このような素晴らしい生涯学徒の鏡のような人物が、去年、亡くなられました。
氏が、晩年に、
「日本は広い、広すぎる」
と言われた晩年の著作における言葉、
地域主体という言葉の本源を教えられたように思いました。
いまでも寂しくてなりませんけれど・・・・、
氏のご冥福を心からお祈りしたいと思います。
氏のご著作を左のカテゴリーの「おススメの本」のコーナーでご紹介したかったのですが、三冊しか挙げられなくて残念でした。興味を持たれた方はご検索くださり、まずは、つぎの数冊をぜひお読みいただきたいと思います。ほとんどは文庫本や新書で買えます。
★日本の古代史を知りたい勉強したいなあと思われた方
「古代史おさらい帖」(ちくま学芸文庫)
「考古学・その見方と解釈(上下)」(筑摩書房)
★邪馬台国論争に疲れた方
「倭人伝を読みなおす」(ちくま新書)
「山野河海の列島史」(朝日新聞出版)
「日本の深層文化」(ちくま新書)
★関東以北にお住まいの方
「日本史への挑戦」森浩一、網野善彦対談本(ちくま学芸文庫)
個人的には、この方を第一にご紹介したかったほど。
ここのブログでたびたび書いてきましたように、わたくしの興味関心の対象の一つは日本の古代史。
関心を持って本を読むようになって十数年になりますが、だからといって、
邪馬台国がどこにあったのかとかというそういったことにはほとんど関心はありません。
古代史をめぐる論争も一通り眺めては参りましたが、
そうした論文や著作を読めば読むほど、だからなんなんだ!?
といった感想を持ってしまうようになったのも、それら研究者の姿勢というか、
なぜ古代史を研究しているのか、なぜ、考古学を専門分野に選んだのか?
といった姿勢に多くは共感するところがなかったせいです。
日本の古代史に関心を抱くきっかけは、わたくしの場合現代の「政治」であり、
日本の国の形成というものを考えざるをえなくなったのであり、
学ぶたびにそれが現代の政治を考える滋養になりました。
受験で選んだ科目も世界史、学生時代に学んだのもドイツを中心とした西欧史。
そんなわたくしですから、日本史の知識など高校で学んだ山川出版の「日本史」の教科書レベル。
最初は律令制にいたる歴史を学び始めたのですが、
ほどなく、古代史の謎、更に上代の列島の姿に思いを馳せるようになり、
特に、京都に移り住むようになったのを契機に、本や資料を読みあさるようになりました。
そんな中で、本を通してではあっても、その言説に共感を覚え、
だんだんとその人柄に信頼を置くようになり著作を探して読み始め、
気が付けば著作のほとんどを読んでいたという経緯で、
いつの間にか人としてもたまらなく好きになってしまっていたんですね。
その人物がこちらの森浩一氏です。

わたくしごときが説明するのも憚られますけれど、
森氏はお若いころから考古学に夢中な少年で、長じてから
日本の遺跡の発掘調査に関わってこられた考古学者ですけれど、
当時の考古学界のあり方、たとえば、発掘された異物を
大御所に連なる学者たちの自説に都合のいいように解釈する姿勢に距離を置き、
また古代史学会の、古事記や日本書記などを読むのは非科学的だと断じて
無視するといった姿勢にも安易にくみせず、文献資料の研究も大事にされ、
ご自分の直感や調査を信じてご自分で考えるという姿勢において、
まったくブレがなく、氏の言説は、シンポジウムにおける討論会におけるものでも、
実に気持ちがいいものでした。痛切に媚びない、迎合しない。
あくまでも、学者として、誠実であり、かつ慎重であり、真摯で、厳しい。
★ご参考までに ⇒ 森浩一氏
ウィキにも紹介されているように、都が置かれた近畿中心の歴史の見方は歴史を見る目を曇らせるという点を、当たり前のように指摘してこられ、そして地域を重視してこられた。たとえば、古代史で有名な「磐井の乱」
これをヤマト政権中心に見るから「乱」と命名される。
それでは当時の真実がいかなるものだったのかは見えてこないと、
地域の発掘を通して見えてくるものを大事にされた。
天皇陵を記紀に書かれたどの天皇陵とするかといった点においても、
明治に指定されテ以来、すでに定説となってきた天皇陵名でも、
その後の考古学上の発掘や研究から覆されている天皇陵名も少なくない。
考古学的に証明出来ない天皇陵は、宮内庁でどのように指定していようと、
先入観を持たないために在地の名前で呼ぶことも提唱。
学校で習っていたあの仁徳天皇陵が、大仙陵古墳と呼ばれるようになっていたことを知った時には、
正直、混乱し驚愕したものでした。
氏は、遺跡の保存運動にも尽力してこられた。高度成長期の開発で破壊され失われた遺跡の数々に対し、
調査に携わった経緯から残念な思いを山ほどしてこられたけれど、
それを声高く叫ばれることもなかった。
学会における研究者たちの姿勢に対しても
批判すべき点は批判するけれども大声で叫んで糾弾することもない。けれど、
自らの姿勢を通して静かに忍耐強く問いかけ続けてこられた。
著作を通してそのように思われてなりません。
ご専門の考古学にはめられていたような垣根に拘られることなく、
記紀そのたの文字資料、金石などに刻まれた文字資料、
いわゆる文献資料の研究にも真摯で、史料の読み込み研究は、
中国、韓国の古代歴史資料にも及び、必要な時には
古代の文字の読み方もご専門とする方たちから指南を受けられ、
他分野における研究成果に対する識見も高く、氏の対談本はとても楽しみでした。
わたくしは考古学のことは良く分かりません。けれど、
これほどまでの情熱を支えていたものは何だったのだろうと、
訃報に接してからずっと考え続けてきました。
訃報に接した時のショックと寂しさをどう言えばいいのか・・・・
森浩一氏の本ならずっとずっと読み続けたかった一人として寂しくてならない。
この氏を2013年を振り返るときの人物として挙げさせていただいたのは、
そうした個人的な感情や思いを超えて、氏のメッセージとして、
以下の事を改めてかみしめたいと思われたからです。
自分の頭で考えるということ。
そのために必要なことは自ら地道に勉強するということ。
ものを考える際の基本を踏まえその歴史を踏まえ学ぶということの大切さは、
我流での学問研究には意味はないその期間は無駄になるという氏の、
厳しい言葉に表れているように思えました。
新たに分かったことでこれまでの定説が間違いであったなら、謙虚にそれを正していく勇気。
新たに分かったことでそれまでの自説が補強されたとしても、それを自らの功績として偉ぶらない。
学究というものに終わりはなくすべては継承されて行く。
継承されるべきことが継承されて行く時、少しづつ明らかにされていくという姿勢は、
ある種の諦念といってよく身震いするほど見事だと思います。
そこに野心も小我はなく、まっすぐな情熱があり、継承されるべきものへの確信と畏怖の念、
そして、それらを継承する人々への信頼と喜びさえ感じられました。
このような素晴らしい生涯学徒の鏡のような人物が、去年、亡くなられました。
氏が、晩年に、
「日本は広い、広すぎる」
と言われた晩年の著作における言葉、
地域主体という言葉の本源を教えられたように思いました。
いまでも寂しくてなりませんけれど・・・・、
氏のご冥福を心からお祈りしたいと思います。
氏のご著作を左のカテゴリーの「おススメの本」のコーナーでご紹介したかったのですが、三冊しか挙げられなくて残念でした。興味を持たれた方はご検索くださり、まずは、つぎの数冊をぜひお読みいただきたいと思います。ほとんどは文庫本や新書で買えます。
★日本の古代史を知りたい勉強したいなあと思われた方
「古代史おさらい帖」(ちくま学芸文庫)
「考古学・その見方と解釈(上下)」(筑摩書房)
★邪馬台国論争に疲れた方
「倭人伝を読みなおす」(ちくま新書)
「山野河海の列島史」(朝日新聞出版)
「日本の深層文化」(ちくま新書)
★関東以北にお住まいの方
「日本史への挑戦」森浩一、網野善彦対談本(ちくま学芸文庫)
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