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京都 建仁寺・・・・「正伝永源院」の特別公開 

これが建仁寺ご紹介シリーズのラスト。
都知事選に出馬中の元総理の菩提寺でもありましたので、
ちょっと長くなりましたけれど、この週末、眺めていただければ幸いです。


P1242610.jpg


建仁寺の塔頭の一つである「正伝永源院」も特別公開中でしたので、
立ち寄ってきました。上の看板をご覧になって、えっ!?
と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。そうです。
いま行われている都知事選に出馬された元総理の襖絵なるものが、
狩野永楽の襖絵と伝えられる襖絵のある部屋のお隣の部屋にありましたほそくぁ。

なぜ?細川元総理の襖絵が!?

陶芸家となって焼き物三昧だったのではないのかと驚きますよね。
どうやら日本画もやっておられたようで、そのことについては後ほど触れます。



P1242588.jpg


さて、正伝永源寺。正伝院さんと呼ばれる方が多いようで、元々、正伝院というお寺だった。
わたくしも「正伝院」だとばかり思っていました。
委細は、説明板をお読みいただくとして、


P1242589.jpg


正伝院は、織田信長公の弟の長益が大阪冬の陣の後に剃髪し茶人有楽斎として再興したお寺。

創建は、「大覚禅師・蘭渓道隆とともに中国から来日した義翁紹仁・勅諡普賢禅師」とありますが、
鎌倉時代に開山されたもののその後は荒廃していたようです。
興味がない方は、以下はスルーしていただいて結構ですからね。

そして、永源院というのは、
中国で禅を極めて帰国したという出羽出身の禅僧、無涯仁浩が開祖。
紆余曲折を経て「正伝院」と「永源院」が合流となって現在にいたるわけです。

それにしても、利休に弟子入りして茶道の宗匠となった有楽斎を祖とする茶道が、
現代にも伝えられ有楽斎流というものになっているんですね。
茶道の世界の事は詳しくないものだから、驚きました。


P1242585.jpg



P1242586.jpg


境内に足を踏み入れるとすぐ右側に有楽斎のお墓があり、


P1242592.jpg


その横には、有楽斎夫人のお墓と息女と孫のお墓が並んでおりましたが、


有楽歳夫人の墓
(有楽斎夫人のお墓)


驚いたのは、こちらの墓所。

細川家歴代の墓


この細川家というのは、元総理にして都知事選候補の護煕氏の細川家のことかと見れば、
見覚えのある家紋が刻まれているではありませんか。
細川家の菩提寺は熊本にあるものとばかり思っていたのですが、
京都にあったのですね。しかも、ここ建仁寺の塔頭の一つであるここが菩提寺だったんですね。


細川家の墓所


なぜかしら。と思ったら、熊本細川家の始祖である頼有が、
先にご紹介した禅僧の無涯仁浩に深く深く帰依。
その縁で、細川家代々の菩提寺となっているとのことでした。

だから、元総理の襖絵もあったのですね。奉納だそうです・・・・
近々、また、その続きの襖絵も奉納されることになっていると聞きましたが、
まあ、細川家の菩提寺でもあり寺院にとっては大事な檀家さんでしょうから、
わたくしごときが口をはさむ謂れはないけれど、
芸能人アートィスト同様、有名人の高踏趣味というのは、苦手です。
そういうものを見たくて拝観したのではないのだもの。


さらに、なぜ、ここに?と思ったお墓がこちら。


P1242602.jpg


福島正則のお墓がなぜここに?とちょっと驚きました。お茶とは無念なイメージのせいでしょうか。
が、細川家の菩提寺となると、忠興との縁からかもしれません。
正則は茶人でもあった忠興に「お前も茶をたしなめ」と言われたのかなあなどと勝手に想像。
その縁でここにお墓があるのかも・・・・


さて、正伝永源院。


P1242606.jpg

P1242607.jpg

P1242605.jpg


そして、こちらが国宝の茶室「如庵」(ただし、複製)
茶室の中はこちらでご覧になれます。⇒「如庵」の写真

P1242608.jpg


どういういきさつでそうなったのか分かりませんが、
本物は名鉄犬山ホテルの有名な日本庭園、有楽苑 にあります。

もともとはこちらにあったんですね。明治の廃仏毀釈政策でこの地に正伝院が移るにあたって、
元の正伝院の土地が売却されそのお金を寄付として徴収されたとき、如庵も取り上げられたらしい。

建仁寺全体が、当時50以上もの塔頭を持っていたそうですが、
14にまで削減縮小されたのもその時。う~ん・・・考えさせられますね。

江戸時代、幕府の政策とはいえ権力によって保護されてきたお寺や僧侶の腐敗ぶりは、かなり酷かったようで、
記録によれば、飲む・打つ・買うなどの僧侶にあるまじき行為その他は、日常的に見られたようです。

檀家制度という幕府の制度の上に胡坐をかいていた寺院の側にも反省すべきことは多々ありましょうが、
その陰で冷遇されていた神社が、国の政策でやがて国家神道に統合されていくその後の歴史もまた、
ご承知の通り、無残でしたからね、日本は、宗教というものを誤った形で、しかも、
懲りずに利用したということになるのかなあと。

宗教が権力と結びつくとろくなことはない。胆に銘じたいですね。

国が宗教を弾圧することは許されないけれど、不要に保護することも然りではないかしら。
葬式仏教と揶揄されるようになっている責任はどこにあるのでしょう。

そんなことを思いながら正伝永源院を後にしようとしたとき、
以下の慰霊碑が再び目に入ってきました。


P1242604.jpg


そう、ここのお寺では以下の御霊が慰霊されているのでした。

P1242590.jpg

合掌。

建仁寺、まだまだご紹介したいところはあるのですけれど、今回はこれで終わりです。
何とか今週中に終わらせたくて、急ぎ足でのご紹介となりましたが、お暇なときにでも、
お楽しみいただけましたなら幸いです。

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テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 建仁寺シリーズ

建仁寺シリーズ、本当は一日に1つづつアップすれば、
お越し下さる方たちにとっても読んで頂きやすいのだろうと思いつつ、
あの「時代祭」の時のようなことになってはいけないと思い、
昨日は、一気に残りをアップさせて頂きました。
(ほとんどは、参拝直後に書き終えていたブログで予約投稿の状態でしたので)
忙しい思いをおさせしてしまいました。


おっしゃる通り、現在の寺社仏閣は、檀家のお布施(寄付)や供養料で賄われているので、
税の優遇政策がなければ廃寺になりそうなところも多かろうと思われるのですが、
観光の対象になるような歴史的な大寺などは、一般庶民からのお布施や参拝料以外に、
国や自治体からの(文化財保護の)補助金もあり、さらには、
お寺でも神社同様に境内に出店する夜店などの、いわゆる場所貸し料などもあるようですから、
年々値上がりする参拝料に対して、京都でも(特に酒席で聞かれる)お偉い僧の方たちに対して、
「祇園遊びと骨董買い」といった揶揄する不満の声が、
人知れず小さな声で庶民の口の端に上っている場に、わたくし自身何度か出会い、
複雑な思いになったものです。

京都市内の寺社仏閣の存在は、小さな昔ながらの町家住宅がひしめいている市街地にあって、
公園などが極端に少ない中にあって緑化保存という環境面でも防災面でも貢献していると思われ、
そうした側面を考慮した上で寺社への税制優制を検討してはどうかと思うようになりました。

ちなみに、先日の建仁寺参拝でも一人分の参拝料は合計数千円になり、
お茶代やランチ大や交通費を含めたら、市内住民でさえ一人一万円ですもの。



建仁寺シリーズ

大変お疲れさまでした。いろいろ勉強になりました。寺社がかつて隆盛を誇っていたのはその時代のスポンサーがいたんですね。その最大のスポンサーは幕府であり時の権力者だったと。現在は檀家のお布施で賄われている。それでも税の優遇があるからまだマシということかしら。いずれにしろ、時代の移ろい、環境の変化によりこの先は厳しいでしょうね。

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