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京都 応仁の乱の史跡・・・・「百々橋」の礎石

P1011177.jpg


これは何かしら・・・
ということで、たまたま出会った由来書を読んでみることに。


P1011178.jpg


出た~~「応仁の乱」!ここにも応仁の乱の表示があったというより、この史跡は、
市中を焼き尽くした戦火、庶民にとっての戦禍としての応仁の乱ではなく、
まさに、戦そのものが行われたところ、開戦の百々橋の遺構としての史跡です。

京都では、「先の大戦」というと、大東亜戦争ではなく「応仁の乱」のことらしいと、
随分驚かされたものですけれど、由緒書にはたびたび登場する「応仁の乱」であります。

山名宗全だとか、細川勝元だなんていう武将の名前って、
戦国時代の歴史によほど興味がある人じゃないと分からないのではないでしょうか。
東北や関東出身の誰かが身近にいらしたら聞いてみてください。
おそらく、ほとんどの人は、「それ、誰!?」だろうと思います。

けれど、京都の方でご高齢の方なら、まず、ご存知あろうと思います。
いずれも室町幕府を代表する大名ですけれど、政略結婚など無意味だということを教えてくれます。
応仁の乱の幕開けとなった両武将ですが、山名は西軍、細川は東軍の総大将。
細川勝元は、あの石庭で有名な龍安寺を作った武将でもありますけれど、
両軍が対峙した橋が、百々橋で、上の写真はその橋の礎石です。

この戦いで京都は焦土と化したわけですから、
京都の方たちとっては忘れ得ぬ戦乱となり語り継がれてきたのでしょう。

ご参考までに以下、リンクを貼らせていただきます。

★山名宗全 ←かなり長文の説明なので、ゆっくり読んでいられないという方は、
こちらをクリックしてご覧ください。⇒ 山名宗前早わかり

★細川勝元(←クリックしてご覧ください)

対象的な性格の武将ですが、皆さまはどちらがお好きでしょうか。
いずれにしても、この応仁の乱で私たち日本人は人命同様、
世界に冠たる貴重な文化財の多くを戦火による火災で永久に失ってしまいました。

その後、それなりに復興された寺社仏閣は多いとはいえ、永久に失ってしまったものは、
いかに科学技術の粋を集めても保存のしようもありません。やはり、無念さは否めません。


以上、予約投稿です。いただいたコメントへの返信は週明けになります。ご了解くださいませ。
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