日本という国・・・・大震災と天皇陛下
3月も下旬に入り、卒業式や送別会、転任や転居で引越し準備で多忙の時期ですね。
今年は特に、消費税の課税前ということで、引越し業者さんも多忙を極めておられる。
わが家も昨日まで荷づくりで、段ボール30個分の荷物を送り終えたところ。
その後、家の中の片付けに追われました。
明日、半年ぶりに帰省しますが、娘は二年半ぶりの帰省で、老親が首を長くして待っております。
先週、お陰さまで娘も大学を卒業し、祖父とは3年半ぶりの再会となります。
3年前、半年ぶりに娘が京都から帰省したとき、あの東日本大震災が起こりました。
帰省を前に、この3年間のことを振り返って参りました。
犠牲者の方たちのこと、家族や友人を亡くした方たちのこと、
当時とその後、そして、現在までの被災(者)支援のこと、
復旧、そして復興を巡ってのあれこれや復興経済のこと、
福島原発事故のこと、放射能汚染のこと、国や自治体や個々人の原発への考えや姿勢のこと、
当時を思い出しつつ、いまを、そして、これからのことを考えて参りました。
そこで、この3月11日に国立劇場で開催された政府主催の「東日本大震災3周年追悼式」での、
天皇陛下のお言葉のことを改めて振り返り読み返してみました。
わたくしは、天皇陛下や天皇制に対して、特に思う所があるわけではない普通の日本人で、
象徴天皇という戦後の天皇陛下のお立場についても、
戦後教育を受けてきた一人としてそれを普通に受け入れている一般の日本人と変わらないですけれど、
当日、あの震災に対するどのコメントよりも、陛下のお言葉が胸に迫り心の奥深くに入って参りました。
せわしない世の中ですから、ネットでは特にもう忘れ去られているかもしれませんが、
ここに、その全文を挙げて読み返してみたいと思います。
***** *** (以下、全文掲載) *** *****
本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに震災によって失われた人々とその遺族に対し改めて、深く哀悼の意を表します。
三年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は二万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお、多くの被災者が被災地で、また、避難先で困難な暮らしを続けています。
さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。
この三年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。被災地に一日も早く、安らかな日々が戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。
*** ***** *** ***** ***
天皇陛下と総理大臣とは立場も役割も異なりますので、
それぞれの追悼の言葉に対して同じ次元で感想を述べることは不適切ながら、
わたくしは、このとき、陛下の上記のお言葉が深く染み入りました。
これ以外のどんな言葉もあり得ないほどの追悼のお言葉だったと思います。
日本という国は、国民が震災に遭ったり災害に襲われたときに、
このように国民に添って祈ってくださる方がおられるのですね。そして、
亡くなられた御霊に対してもこのように追悼してくださる・・・・
そのような方が天皇としてわたくしたち日本の国民の象徴として存在することは、
わたくしたちが意識していないだけで、それは奇跡なのではないかと、
そのように感じられてならないわたくしでした。
明日、2年半ぶりの帰省となる娘と一緒に、愛猫を連れて、
震災後の片付けがまだ終わっていないわが家に帰ります。
仙台は雪だと聞いて心が弾んでしまいました。雪でお困りの方たちがおられるというのに・・・
ブログをしばらくお休みさせていただきます。
留守中、予約投稿でいくつかブログに記事を投稿予定です。
お楽しみいただければ幸いです。
今年は特に、消費税の課税前ということで、引越し業者さんも多忙を極めておられる。
わが家も昨日まで荷づくりで、段ボール30個分の荷物を送り終えたところ。
その後、家の中の片付けに追われました。
明日、半年ぶりに帰省しますが、娘は二年半ぶりの帰省で、老親が首を長くして待っております。
先週、お陰さまで娘も大学を卒業し、祖父とは3年半ぶりの再会となります。
3年前、半年ぶりに娘が京都から帰省したとき、あの東日本大震災が起こりました。
帰省を前に、この3年間のことを振り返って参りました。
犠牲者の方たちのこと、家族や友人を亡くした方たちのこと、
当時とその後、そして、現在までの被災(者)支援のこと、
復旧、そして復興を巡ってのあれこれや復興経済のこと、
福島原発事故のこと、放射能汚染のこと、国や自治体や個々人の原発への考えや姿勢のこと、
当時を思い出しつつ、いまを、そして、これからのことを考えて参りました。
そこで、この3月11日に国立劇場で開催された政府主催の「東日本大震災3周年追悼式」での、
天皇陛下のお言葉のことを改めて振り返り読み返してみました。
わたくしは、天皇陛下や天皇制に対して、特に思う所があるわけではない普通の日本人で、
象徴天皇という戦後の天皇陛下のお立場についても、
戦後教育を受けてきた一人としてそれを普通に受け入れている一般の日本人と変わらないですけれど、
当日、あの震災に対するどのコメントよりも、陛下のお言葉が胸に迫り心の奥深くに入って参りました。
せわしない世の中ですから、ネットでは特にもう忘れ去られているかもしれませんが、
ここに、その全文を挙げて読み返してみたいと思います。
***** *** (以下、全文掲載) *** *****
本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに震災によって失われた人々とその遺族に対し改めて、深く哀悼の意を表します。
三年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は二万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお、多くの被災者が被災地で、また、避難先で困難な暮らしを続けています。
さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。
この三年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。被災地に一日も早く、安らかな日々が戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。
*** ***** *** ***** ***
天皇陛下と総理大臣とは立場も役割も異なりますので、
それぞれの追悼の言葉に対して同じ次元で感想を述べることは不適切ながら、
わたくしは、このとき、陛下の上記のお言葉が深く染み入りました。
これ以外のどんな言葉もあり得ないほどの追悼のお言葉だったと思います。
日本という国は、国民が震災に遭ったり災害に襲われたときに、
このように国民に添って祈ってくださる方がおられるのですね。そして、
亡くなられた御霊に対してもこのように追悼してくださる・・・・
そのような方が天皇としてわたくしたち日本の国民の象徴として存在することは、
わたくしたちが意識していないだけで、それは奇跡なのではないかと、
そのように感じられてならないわたくしでした。
明日、2年半ぶりの帰省となる娘と一緒に、愛猫を連れて、
震災後の片付けがまだ終わっていないわが家に帰ります。
仙台は雪だと聞いて心が弾んでしまいました。雪でお困りの方たちがおられるというのに・・・
ブログをしばらくお休みさせていただきます。
留守中、予約投稿でいくつかブログに記事を投稿予定です。
お楽しみいただければ幸いです。
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Re: 帰省
閑話ノート様、お久しぶりでした。
桜の満開の一方があった日に京都に戻りましたが、
肌寒いのに驚いております。
留守中のメッセージ、ありがとうございました。
無事に卒業した娘と久しぶりに親戚宅を廻り、墓参も叶いました。
忙しい毎日で、母親としての安堵感のせいか、疲れがどっと出てしまいました。(苦笑汗)
明日は、十数年ぶりに東京時代の友人たちと京都で再会でございます。
来週は仙台から友人達が京都観光に参り拙宅に滞在予定です。
その後、娘は京都に残りますが、わたくしは仙台に引っ越しの予定でございます。
落ち着きましたら、ブログの方に伺いたく楽しみにしております。
まずは、ご挨拶まで。
桜の満開の一方があった日に京都に戻りましたが、
肌寒いのに驚いております。
留守中のメッセージ、ありがとうございました。
無事に卒業した娘と久しぶりに親戚宅を廻り、墓参も叶いました。
忙しい毎日で、母親としての安堵感のせいか、疲れがどっと出てしまいました。(苦笑汗)
明日は、十数年ぶりに東京時代の友人たちと京都で再会でございます。
来週は仙台から友人達が京都観光に参り拙宅に滞在予定です。
その後、娘は京都に残りますが、わたくしは仙台に引っ越しの予定でございます。
落ち着きましたら、ブログの方に伺いたく楽しみにしております。
まずは、ご挨拶まで。
帰省
璋子さん、おはようございます。
お嬢さんご卒業おめでとうございます。母としてまずは安堵なさったことでしょう。
久し振りに仙台にお帰りになるのですね。ご家族やご親友との再会楽しみにしておられることでしょう。
それに引っ越しの準備ほか多忙な日々を過ごされた由、お身体お大切になさってくださいね。
それではまた。(^O^)
お嬢さんご卒業おめでとうございます。母としてまずは安堵なさったことでしょう。
久し振りに仙台にお帰りになるのですね。ご家族やご親友との再会楽しみにしておられることでしょう。
それに引っ越しの準備ほか多忙な日々を過ごされた由、お身体お大切になさってくださいね。
それではまた。(^O^)
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