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京都 光悦寺(1)・・・鷹の峰にある静謐な本阿弥光悦ゆかりのお寺

光悦寺6


この季節、まだまだ寒いせいか、雨の日に光悦寺を訪ねる人は、やはり、見かけず、
境内は静謐さに包まれていました。

ここは、京都市内の西北の郊外、鷹が峰というところにあり、
鷹峰三山と言われる「鷹が峰」「鷲が峰」「天が峰」という山々を見渡す景勝地。
徳川家康が、本阿弥光悦に野屋敷として与えたといわれる土地でした。
光悦は、「ばがぼんど」の宮本武蔵と同時代に「当代きっての大文化人」と言われたアーティスト。
けれど、本業は刀剣の鑑定、磨砺(まれい)、浄拭、つまり、刀の研ぎ師としての匠。
加賀藩の前田公の扶持二百石を受けていた関係からか、
諸大名の御用のみか禁裏の御用も務めていたというから相当な名家です。
町衆としては、相当リッチだったのではないでしょうか。

驚いたのは、今日もその家業が受け継がれているお家柄ということ。
わたくしたちにとっては歴史上の人物ですが、本阿弥家ではご先祖様になるわけです。


光悦は、本業よりも多方面に渡る芸術的才能で知られている気がしますが、
家康からこの土地を与えられた時、ここに京都市内で工芸に携わる多くの職人たちとともに移り住み、
いまでいう芸術村を営んだ人物ですから、経営者としての才覚も大きかったのではないかと。



光悦寺 ブログ1
光悦寺4


作陶における茶碗、書や絵画、蒔絵、彫刻、謡本の出版などなど。
有名な和歌巻に関しては、作者論に侃々諤々なので、触れませんけれど、
まさにマルチタイプのアーティストです。

日本人はマルチタイプの人間を「何でも屋」などと揶揄するくせがあり、
特にマルチタイプのアーティストに対しては、生前はともかく死後にはとかく評価は低くなりがち。
なので、光悦はいまなおその功績が高く評価されているので、珍しいというか、
日本ではレアケースかもしれませんね。

こういうお顔の人物。もっともこれは肖像画ですが、本阿弥光悦翁木像も同様です。


koueysuzou.jpg


当時としては随分長生きをしていて、80歳で永眠。
桃山時代から江戸初期という時代ですから、当時としては本当に長寿です。
長寿の秘訣は、誰も為し得なかったオリジナルの創造性の発揮としてのアートだったのかも。

書なども、「寛永の三筆」と称された近衛信尹(のぶただ)と松花堂昭乗と共に、
その名筆をうたわれたほどで、茶碗の作陶に終わらず、茶道を極めたとさえ言われるのですから、
半端マルチじゃないですよね。そのエネルギーの源を思うに、
ふくふくとした笑顔の肖像ながら、何やら恐ろしささえも感じます。



生前、光悦が芸術村の中に設けていた本阿弥家先祖供養の霊屋としていた位牌堂が、
光悦の没後に寺として日蓮宗光悦寺となり今日にいたっているとのこと。


光悦寺5


当時の京都では、経済的に自立した富裕な新興町民勢力として「町衆」というのが生まれ、
町衆の多くは、法華経に帰依し日蓮宗の信徒となるものが多かった。
洛中法華21本山というものが生まれたほどですから、
光悦も町衆の一人として法華宗に熱烈に帰依していたのかもしれません。
日蓮宗と光悦に深い関わりがあるとしたら、調べてみたいですね。



光悦寺2


光悦寺は、心の落ち着く美しいお寺です。
幾つかに分けてご紹介していきたいと思いますので、
ゆっくり眺めていただければ幸いです。
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